■第2回 日本サッカー、その後

 北京アジア大会の翌年・1991年に行なわれたキリンカップで日本代表は、ブラジルのバスコ・ダ・ガマ、イングランドのトットナムなどを撃破し、優勝をかざります。
しかしそれはあくまでもクラブ相手の親善大会。

 91年の日本サッカー界の関心事は92年バルセロナオリンピック・アジア予選をいかに勝ちぬき、久しぶりの五輪本大会出場をゲットするかにありました。

香港・インドネシア・台湾を相手にした、1次予選を5勝1敗できりぬけた日本五輪代表は、カタール・クウェート・バーレーン・中国・韓国とともにアジア最終予選へと進出しました。
最終予選は6チーム中、上位3チームが勝ち抜けです。

 ここで日本サッカー協会は不可解な手を打ちます。
1次予選を突破した山口監督をひっこめて、A代表の監督だった横山氏を五輪代表総監督にすえたのです。

 翌1992年1月、マレーシア・クアラルンプールのムルデカ・スタジアムでバルセロナ五輪・アジア最終予選が開幕しました。(集中開催)

 初戦の相手は中国でした。めずらしく深夜のNHKで中継がありスパルタクはTVにかじりつきました。
前半19分さらにめずらしいことに、日本が原田のゴールで先制しました。

しかし20分をすぎると、冬とはいえ真夏のような蒸し暑さのマレーシアの気候に、日本の選手の足がパッタリ止まり、ボールを持つ選手以外はほとんどが歩いているしまつで、いったん攻めあがるとなかなか自陣に戻れません。

中国人選手のフィジカルの強さに当り負けしてボールをキープできず、ムルデカスタジアムの深い芝に日本の選手の弱々しいパスはまったく通らず、攻撃の形もなかなかできません。

中国は身長190cmクラスのFWにひたすらロングボールをけりこむ、中国お得意のスタイルで押しこみ、日本は防戦ぎみに。
そして前半終了まぎわにとうとう追いつかれ、後半へ。

 後半も苦しい展開は変わらず、スタミナ切れの日本の選手の足は止まったまま。ついに中国に決勝点を決められ、1-2で初戦を落としてしまいます。

 第2戦のクウェート戦は健闘して1-1の引き分け。(新聞で知る)
第3戦の相手は当時はまだ中東の弱小国だったバーレーンで、三浦文丈のハットトリックを含む大量6得点で、6-1と快勝。スパルタクは初めて五輪代表が勝った試合を観る事が出来ました。

しかし第4戦の韓国戦を0-1で落とし、最終戦に望みを託しましたが、カタールに0-1とまたもや敗戦。(両方とも新聞で知る)
6チーム中5位で五輪行きはならず、横山総監督は責任をとって辞任しました。
(バルセロナ五輪出場はカタール・クウェート・韓国)

 当時の五輪代表は、沢登正朗、三浦文丈、永井秀樹、名良橋晃、名波浩らJリーグ第一世代の主力となる選手達がせいぞろいしていたチームでしたが、フィジカルが決定的に弱く中東諸国や中国・韓国相手に当り負けする・90分走るスタミナが無いなど、サッカー以前に問題を抱えていました。

それでもスパルタクの日本サッカーを応援する気力だけは高まっていきました。

1992.1.19 クアラルンプール、ムルデカ・スタジアム

日本1-2中国

日本のスタメン

GK 下川健一
DF 石川康
   小村徳男
   名塚善寛
MF 永山邦夫
   原田武男
   高田昌明
   名良橋晃
   永井秀樹
FW 神野卓哉
   沢登正朗

  

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