■本田選手のこと

 今日は本田圭佑選手について述べたいと思います。

私の本田選手に対する評価は、2010年南アフリカW杯から14年ブラジルW杯まで先頭に立って日本サッカー界を引っ張り、「脱アジア化」を成し遂げた大功労者というものです。

このたび、3シーズン半におけるACミランでの彼の挑戦は終わりを告げましたが、成功という結果を残すことができなかったのは残念でした。

彼が当初ミランで望んでいたポジションはトップ下だったのですが、ブラジル代表カカーなど他の選手の存在であったり、監督がトップ下を置かないシステムを使ったりした関係で希望がかなわず、特にセードルフ監督時代以後、右ウイングという本来彼には不向きなポジションを任されることが多くなってしまいました。

若い頃の彼はドリブルのスピードは並でしたが、強いフィジカルコンタクト能力で追いすがる相手を跳ね飛ばして中盤でボールをキープしつつ、自らのパスでチームの攻撃を組み立て、ゴールもあげるプレーヤーでした。

しかしロシアリーグやW杯アジア予選レベルで当たる相手には「中盤の王様」として振る舞うことができたのですが、フィジカルコンタクトの強さ・上手さが数ランク上のセリエAに移籍すると、相手に体を寄せられてあっさりとボールを失ってしまうシーンが目立つようになります。

そこから人の見ていないところで相当な努力をしたのでしょう、1~2シーズン経過する頃にはフィジカルコンタクト能力がさらにアップし、相手に体を寄せられても簡単にボールを失うことは減りました。

ただ、残念ながら右ウイングとしては最後まで成功することはできませんでした。

加齢によってスピードが落ちたこともあり、右サイドを独力でタテに抜いてチャンスメークすることができないため、ほぼ100%ピッチ中央方向へカットイン・ドリブルしてくることを相手に完全に読まれており、真横にドリブルしながらあげるクロスはすべてはね返され、ミドルシュートも決まらないというプレーを繰り返すようになります。

さらにミラン入団時に背番号10を要求し、「セリエAやCLでの優勝を目指す」と宣言してミラニスタの期待を煽りまくり、自分で成功へのハードルを極限まで高くしてしまったことも裏目に出てしまったように思います。

本田選手は若い頃から「目標はW杯優勝」みたいな大風呂敷を広げ、自分を並大抵ではない努力をしないといけない状況に追い込むことで成長してきた選手です。

右肩上がりでサッカー選手としての能力が上がっていた若い頃はそれでも良かったのですが、30代に近づくにつれ、スピードや持久力など身体機能の衰えが見え始めると、各ポジションの中で最もスピードと運動量が要求されるウイングとして成功するのに、もはや努力すればどうにかなるという段階は過ぎてしまったことが明らかとなります。

結果として本田選手を「低迷する名門クラブをスクデットやビッグイヤー獲得へと導く救世主」と見ていたミラニスタは期待を大きく裏切られたと感じ、怒り狂うことになってしまったのではないでしょうか。

さらに、どんなに右サイドでの一対一に勝てなくても、再び右ウイングとしてピッチに立ち、やっぱり右サイドでの一対一に勝てないということをエンドレスで繰り返してチームも負け試合が増えていくわけですから、世界一サッカーを見る目が厳しいミラニスタのフラストレーションがたまりにたまってついに限界を超え、彼らの怒りが大爆発してしまったように思います。

プロの世界は「実力」と「結果」が全てですから、サイドでの一対一で「4勝6敗」は十分評価されますが、「0勝10敗」は許されませんし、それをエンドレスで続けていくことは絶対に許されません。

彼を応援する立場の人間として、ミラニスタから「パンキナーロ」(ベンチ要員)と名づけられて、ピッチに出ただけでブーイングを浴びせられるのを見るのは正直つらいものがありました。

 本田選手は、どうして右ウイングというポジションにそれほどまでにこだわっていたのでしょうか。

クラブからそのポジションを任された以上、絶対に成功しなければ自分のプライドが許さないという考えがあったのか、それともミランからそれ以外のポジションでプレーすることを許されなかったのでしょうか。

もしトップ下以外で、彼のプレーの特徴やストロングポイントを生かすのであれば、左・真ん中・右のどちらから攻めるのか、速攻をかけるのか遅攻でじっくり攻めるのか、それともボールを落ち着かせて嫌な流れを断ち切るか、自分のパスでチーム全体を操るボランチ(イタリア語でいうレジスタ)が適任だったように思います。

ゴールを決めるFWが会社で言えば契約を取ってくる「営業」だとしたら、ボランチは社長室から指示を飛ばす「経営者」といったところでしょうか、

もちろんボランチだって機を見て攻め上がり、味方からリターンをもらって自分でゴールを決めることだってできますけどね。

ミランでしたら、4-3-1-2の“3”のポジションからチームを操ったピルロという偉大な“王様”がいたのですから、もしそのポジションで成功できていたら、「ピルロの後継者」として本田選手のミランにおける評価が現在とまったく違ったものになっていたかもしれません。 4-1-2-3でしたら、“2”のインサイドハーフも良いと思います。

 これで思い出すのが「フランクフルトのカイザー(皇帝)」の二つ名を持つ長谷部選手です。

カイザーというニックネームはもちろん、3バックのリベロのポジションから上がって攻撃を組み立てたドイツのレジェンド・ベッケンバウアーから来ているのでしょうが、長谷部選手に対するクラブ関係者・マスコミ・サポーターからの評価が非常に高いことをうかがわせます。

フランクフルトを率いるニコ・コバチ監督の現役時代、クロアチア代表は当時のクラニチャル監督が3バックを採用しており(2006年ドイツW杯で日本と対戦し0-0の引き分け)、彼の弟でバイエルンでプレーしていたロベルト・コバチが3バックの真ん中をやっていたので、そうした影響でニコ・コバチ監督も「3バック使い」なのかなと思うのですが、長谷部選手をリベロのポジションで使って今シーズンはかなりの成功を収めました。

ドルトムントで香川選手が成功したことでドイツにおける日本人選手の評価がグンと上がったのですが、それ以前にブンデスリーガへやってきた長谷部選手は相当苦労したはずです。

でも、「環境に適応するために自分を変える勇気」をつねに持ち、いくつものクラブを渡り歩いて、監督から任されたポジションならどこでもやるという長谷部選手の姿勢が、さまざまな経験を積むことを可能にし、チームの最後尾から豊富な経験にもとづいて的確にチームをコントロールする「ピッチ上の指揮官」として高い評価を受けるようになったわけです。

カイザーとまで呼ばれるようになった長谷部選手が、バイエルン戦で大ケガをしてしまったことが本当に残念だったのですが、やはり「サッカー選手はゲームに出てナンボ」「そのポジションで成功してチームを勝たせ、サポーターを幸せにしてナンボ」だと思います。

若手→中堅→ベテランと、サッカー選手としてのキャリアが進むたびに、自分の身体能力にも変化が起こってくるわけですが、それに適応するためにポジションやプレースタイルを変えることは決して恥でも負けでもありません。

前回W杯で優勝したドイツ代表を中盤の底から支えたシュバインシュタイガーをはじめ、多くのスター選手も経験してきたことです。


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