■一つの時代の終わり・新しい時代のはじまり?(その1)

 2010年W杯ベスト16、そして2011年アジアカップ優勝と一時期の絶不調が嘘のような快進撃が続く日本代表。

W杯南アフリカ大会の前とそれ以降で日本代表の戦い方、特にチーム戦術の面で革命的と言ってよいような大きな変革がありました。

日本サッカーの一つの時代が終わりを告げ、W杯南アフリカ大会以降あたらしい時代に入ったと言えるのかもしれません。

それでは何がどう変わったのでしょうか?

 サッカーに関する限りもともと日本は南米(特にブラジル)の影響がとても強く、まるでアジアにおける南米の飛び地のようなところでした。

Jリーグ草創期をリードしたヴェルディ川崎は読売クラブ時代からブラジルサッカーの強い影響を受けていましたし、ヴェルディと名勝負を繰り広げた鹿島アントラーズもブラジルの名選手ジーコが立ち上げたようなものです。

アルゼンチン派は、ラモン・ディアスやメディナベージョがいた横浜マリノスぐらいだったでしょうか。

これ以外にも多くのクラブでブラジル人選手・監督が活躍してきましたから、日本がブラジルサッカーの影響を強く受けたのは無理もないことでした。

日本人選手の技術力向上についてはブラジルの貢献度はかなりのものがありましたし、その影響は日本のチーム戦術・サッカースタイルにも及びました。

グローバリゼーションとでも言うのでしょうか、今でこそ世界各国のサッカースタイルはだんだんと地域差がなくなり、私にとっては寂しいかぎりなのですが、90年代始めまでは欧州・南米・アフリカとそれぞれはっきりと違う独自のサッカースタイルと戦術がありました。

それでは伝統的なブラジルサッカーのスタイル・戦術とはどういうものだったのでしょうか。

 今となってはリアルタイムで見ていた人も少なくなったのかもしれませんが、90年代はじめ頃までのカンピオナート・パウリスタ(サンパウロ州選手権)において見られた典型的な「古き良きブラジルスタイル」とは次のようなものです。

守備は4バックのゾーンで守り、ボールを奪われたら前から積極的にプレスをかけるようなことをせず、攻撃の選手を前線に残したまま自陣深くにまず引いて、相手の攻撃がこちらの守備網にひっかかるのを待つようなリトリート・ディフェンス。

欧州のようにコンパクトな陣形を保って相手が使えるスペースを限定するという思想はなく、一人一人が広いスペースを担当して個の能力で守る傾向が強いと言えます。

そしてバックなりボランチなりがボールを奪い返したら、まず決定的な仕事のできる10番(司令塔タイプの選手)を探し、ほとんどの場合彼にいったんボールを預け、そこから攻撃が展開されます。

10番は、スペースが広く開いた中盤をゆったりとドリブルしつつ、ルックアップして相手守備網の穴を探します。

以下の図は緑チーム(パルメイラスをイメージ)の攻撃を防いだ白チーム(コリンチャンスをイメージ)が10番にボールを預け、10番はゆったりとドリブルしながら前方を見回しているイメージ。

そしてアタッキングサードに侵入し、相手ボランチを抜いたあたりから急にスピードアップして、10番の意図を感じとった味方が相手ディフェンスのウラへ抜けそこへスルーパスを出す、あるいはワンツーを使って自分が相手のウラへ抜け出しシュート、もしくは自分の個人技で相手選手を何人も抜いて強引な中央突破をはかる、といったサッカーがいかにもブラジルらしい戦術と言えるでしょう。


南米
(クリックで拡大)

欧州


比較として、コンパクトな陣形を保った現代ヨーロッパスタイルのチーム同士の試合をイメージした図を載せておきましたが、いかに一人の選手が使えるスペースの広さが違うかがよくわかると思います。

バックラインからFWまでをコンパクトにするという思想がそもそもなく、守りも攻めも最終的には「個の能力」で解決することを前提としていて、特に10番をつけた「司令塔」をチームの軸にしたサッカー戦術。

少なくとも90年代以降、日本のサッカーはこうしたブラジル的な戦術の影響をとても強く受けていました。

チームの軸となる、高い技術に裏打ちされた精度の高いパスを次々と繰り出す司令塔タイプの選手としては、ラモス瑠偉・名波浩・中田英寿・小野伸二・小笠原満男・中村俊輔といった選手が代表的ではないでしょうか。

また、司令塔タイプの日本人選手特有の傾向として、浮き球のロングパスを出すことを好む選手が多いことを指摘できるでしょう。

それは彼らの体に染みついた高校時代のサッカーのスタイルと関係がありそうです。

当ブログ参考記事「地のサッカー」

 しかしブラジルサッカーの影響は、日本人選手の技術力の向上という面ではめざましい成果がありましたが、チーム戦術の面ではむしろ弊害の方が大きかったように思います。

コンパクトな陣形をつくるヨーロッパを中心とした現代戦術のルーツの一つが、70年代半ばまでのアヤックスやオランダ代表の「トータルフットボール」にあることは有名すぎる話です。

常にトータルフットボールの中心にいたヨハン・クライフは1973年にアヤックスからFCバルセロナに移籍しますが、アヤックスの監督だったリヌス・ミケルスが既にバルセロナの監督になっていて、FCバルセロナでもトータルフットボールが展開されます。

1974年のドイツW杯では、トータルフットボールをかかげたクライフ率いるオランダ代表にブラジル代表は0-2の完敗を喫するわけですが、その時のブラジルのキャプテンはセンターバックのマリーニョ・ペレスでした。

マリーニョも後にバルセロナに移籍してクライフのチームメートになるわけですが、クライフはトータルフットボールの戦術をなかなか理解できないマリーニョに対し「オランダ人選手は広いスペースではスキルの高いブラジルやアルゼンチンの選手に対抗できない。だから陣形をコンパクトにして敵選手を狭いスペースの中に閉じ込めたいと考えたんだ」と説明しています。

たとえ相手選手の個の能力が高くても、チーム陣形をコンパクトにして狭いスペースに閉じ込めれば、相手選手がドリブルでトップスピードに乗る前に応対できますし、陣形がコンパクトであれば味方と連携して2対1あるいは3対1と能力が高い相手に対して数的優位をつくって守ることができます。

50年代にゾーンディフェンスを発明したのはブラジルで、1958年のW杯優勝でブラジルの4-2-4システムは世界に大きな影響を与えました。

当時世界最高の個の能力を備えたガリンシャやペレを擁したブラジルは1970年までに3度のW杯優勝を飾り黄金時代をつくりあげます。

60年代以降、ブラジルはその個の能力の高さゆえに高度なチーム戦術を必要としなかったと言えるでしょう。

逆にヨーロッパは、南米に比べ個の能力で劣勢だったからこそ、60年代・70年代に当時世界最先端のサッカー戦術が発達したと言えます。

 ひるがえって日本のサッカーはどうだったでしょうか?

残念ながら日本人選手の個の能力は世界的に見ても高い方ではありませんでした。

少なくとも南アフリカW杯までは。

その日本がブラジルへのあこがれだけで、11人の選手が世界最高の個の能力を持っていることを前提としたブラジル的なチーム戦術をやろうとしたのは無謀だったと言わざるをえません。

むしろクライフが言うように、自分たちより個の能力が高い相手に勝つために生み出されたヨーロッパの組織戦術の方が日本にあっていたことは、サッカー戦術の進化の歴史を見れば明らかだったように思います。


次回は、1990年代はじめのオフトジャパンから2011年のザックジャパンに至るまで、各時代の日本代表はどういう戦術をとりどういう結末を迎えたのか、そこからお話を続けたいと思います。


つづく




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