■川淵三郎会長の罪と罰(その3)

前回の続き

 自らの感情をほとんどコントロールできない人、あるいは感情を理性でコントロールするという訓練を怠ってきた人、というのは川淵会長の言動を見てきて、以前から思ってきたことです。

前回では川淵会長が、自分を批判するマスコミの記者を攻撃するという、プロ失格の行動についてお話しましたが、川淵会長の感情の暴走の例はそれだけではありません。

ドーハの悲劇として有名な93年のアメリカW杯アジア最終予選のイラク戦のあと、アジア予選ベスト11の表彰式があり、FWカズ・DF柱谷・GK松永の三選手が選ばれていたのですが、全員が表彰式をすっぽかすという失態がありました。

当時解説者のセルジオ越後氏が、「負けて倒れて表彰式にも来ないというのはプロのサッカー選手じゃない。アマチュアでなくプロなら涙ぐんでも来なきゃいけない」と言っていたのですが、あとで日本代表選手団長をつとめていた川淵氏が、表彰式があることをわざと選手たちに伝えていなかったことが発覚し、謝罪するという事件がありました。

(サッカーダイジェスト誌 1993年11月24日号)

おそらく予選敗退のショックを受けているであろう選手たちに配慮して、表彰式があることをわざと選手に伝えていなかったのだと思いますが、感情に流されて冷静な判断ができないアマチュアだったのは、カズや柱谷ではなく川淵氏だったというわけです。

 さらに川淵氏は、日本代表の劇的な勝利・敗戦といった緊急事態があると、すぐお泣きになる。

「男だから泣くな」なんていうことを言うつもりはサラサラありませんが、組織のリーダーが緊急事態のたびに泣いて取り乱していたのでは、大事な時に冷静な判断が下せません。

そうしたことが原因でリーダーが緊急時の判断を誤れば、組織に致命的なダメージを与えることになります。

例えどんなことがあっても組織のリーダーというものは感情をコントロールし、冷静な判断力を失ってはいけないのです。

泣いて取り乱したところを部下に見られて、組織内部に不安と動揺を与えるなどもってのほかです。

 川淵会長が、感情の暴走を押さえられず正常な判断力を失ってしまったことの最も良い例がトルシエ元監督への評価です。

川淵会長とトルシエ氏との間に何があったか知りませんが、川淵会長はマスコミに露出して事あるごとに”トルシエ極悪人説”を振りまいていました。

「組織サッカーを目指していたトルシエが、日本代表選手の自由を奪ってがんじがらめにした」という主張です。

私はトルシエのやったことのすべてが正しいとは全く思いませんし、「もう一度トルシエを日本代表監督にどう?」と言われたら「お腹いっぱいなので結構です」と答えますが、少なくとも川淵会長の言う「組織サッカーを目指していたトルシエが、日本代表選手の自由を奪ってがんじがらめにした」という主張は間違っています。

トルシエのサッカー理論は「中盤は手数をかけず組織的にオートマチックにやるが、ゴール前30mからフィニッシュまでは選手個人個人のファンタジー(創造性)がものを言う。 ゴール前での選手のファンタジーは監督が教えられるものではない」というものだったはずです。

時間もスペースも少なくなっている現代サッカーでは、中盤で選手個々が自由に考えていては、相手が守備に戻る時間を与えるだけです。

ですから中盤では時間をかけずにオートマチックに球回しをしてでも、ゴール前30m付近にある相手の最終DFラインをどう崩すのかに時間を使うべきなのです。

ですから、トルシエの言っていることは最新のサッカー戦術の流れからしても間違ってはいないと思います。

 またトルシエはこうも言っていたはずです。「日本人は車が来なくても赤信号では道を渡らない。そうじゃなくて、自分の頭で考えて安全なら赤信号でも道を渡るような個人の判断力を持たなくてはならない」

これは「組織の決め事に個人が100%従う」ということとは正反対です。

やはり「組織サッカーの鬼であるトルシエが、日本代表選手の自由を奪ってがんじがらめにした」といったような議論はウソも良いところではないでしょうか。

第一、川淵会長の「組織サッカーは悪・個の自由は善」といったようなサッカー思想からして、現代のサッカー戦術の常識とは全くはずれています。

サッカーがチームスポーツである以上、選手11人が協力して生み出す力、つまり組織力は絶対に必要です。

W杯の優勝国にしろ、チャンピオンズリーグの優勝チームにしろ、私は世界トップレベルのチームで個人の能力だけでサッカーをやっているチームを見たことがありません。

個の能力を高めるとともに、組織力も向上させるというのが、現代サッカー戦術の方向性です。

個の能力と組織力を反発する水と油のように考えて、「組織サッカーは悪・個の自由は善」であるかのような主張をする川淵会長は、現代サッカーについて全くの勉強不足です。

サッカー協会の会長として致命的欠陥です。

 川淵会長がトルシエに対する個人的な恨みを抱いていて、暴走したその感情が川淵会長の正常な判断力を失わせたのかもしれません。 そして、それがトルシエの後継監督選びにも大きな影響を与えたのかもしれません。

確かに選手を突き飛ばしたりするトルシエのエキセントリックな行動は誉められたものではありませんでしたが、バカンスに行ったトルシエにはかんかんに怒って、リオのカーニバルを見るために帰国したジーコは問題にしない川淵会長のやり方は、トルシエに対する個人的な恨みと見られてもしょうがないでしょう。

さらに言えば、選手を突き飛ばしたり怒鳴ったりするトルシエのエキセントリックな行動は、フランス人と違って消極的で自己表現をなかなかしようとしない日本人をわざと怒らせて、消極的という殻にこもりがちな日本人を変えようとしたのかもしれないと私は考えています。

外国人は意見の違いがあるとはっきりと口に出して積極的に自己表現しますが、消極的な日本人は表面的な”和”を大切にして、意見の違いを口に出して自己表現するようなことを嫌がります。

往々にして、後で本人がいないところで「あいつの意見は間違っている」とカゲ口を言ったりすることになるのですが。

W杯ドイツ大会でも、日本代表選手の非常に消極的なプレーが目立ちましたが、サッカーで一番いけないのは選手の消極性です。

「ど突いてこれだけ怒らせれば、さすがに消極的な日本人でも自己表現するだろう」というトルシエなりの読みだったのではないでしょうか。

もちろんただの八つ当たりの可能性もありますが、世界を相手にしなければならない日本サッカー協会会長の川淵氏に、そうした日本文化とフランス文化の違いを理解する能力、異文化を理解する能力があったのか、大変疑問です。

 自らの感情が暴走をはじめると、自分ではまったくコントロールすることができない川淵会長。 そうしたことが判断の狂いや、気まぐれのような決定を生み出すのです。

その結果、日本代表にはふさわしくないタイプの監督を川淵会長の独断で招聘し、ドイツW杯における日本の惨敗へとつながりました。

自らの感情をほとんどコントロールできない人、あるいは感情を理性でコントロールするという訓練を怠ってきた人は、その裏返しとして論理的思考力・判断力に欠け、組織のトップには最もふさわしくないタイプの人間です。

川淵会長の感情の暴走を押さえられる人が、日本サッカー協会内部にいれば少し話は違ってきますが、そんな人はいないようです。 これについては次回述べることにしましょう。

川淵会長は、やはりおやめになるべきだと思います。

つづく




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