■ジーコ監督の4年間は何だったのか?(その1)

 今日は前回にお約束したとおり、ジーコ監督について、この4年間は一体なんだったのかについて、考えてみたいと思います。

 2002年W杯での決勝T一回戦敗退後、トルシエ前監督が解任され、その後任者としてジーコが日本代表の新監督となりました。

この決定は川淵三郎サッカー協会会長の一存、いわゆる”鶴の一声”で決められました。

ジーコ監督が目指したサッカーは非常にあいまいで抽象的な説明しかなされませんでしたが、彼いわく、それは「”個の自由”に基づくサッカー」でした。

「戦術に個人を当てはめていくのではなく、選手個々の自主性に任せ、そこから生み出されるサッカーこそが日本にふさわしい」という考え方です。

選手の自主性に任せ、選手たちに考えさせる理由として、「選手たちが自分たちで自由に考えて、世界に通用する日本のサッカーを生み出せば、日本サッカー界は大変な進歩をとげることができる」というのがジーコ監督の説明でした。

 結論から言ってしまえば、ジーコ監督は理想主義者すぎたのだと思います。

極端な理想主義者であったがゆえに、4年間という限られた時間で実現不可能な理想をひたすら追いかけて現実が見えなくなってしまった。

 ジーコ監督が日本代表の選手たちにしたことを学校の数学教育に例えるなら、小学校にあがりたての子供たちに、高度な微分積分の問題集をあたえて、「これを自分の力だけで解いて合格点をとりなさい。あなたたちに自由を与えるのだから私は何も助言しませんしヒントも教えません」と言うようなものでした。

小学一年生の子供たちが日本代表各選手、数学の先生がジーコ監督です。

確かに小学一年生になりたての子供が自分の力だけで微分積分の問題をパーフェクトに解けるようになれば、その子供の数学の学力は大変なものになるでしょう。 

まさに理想的なことです。

しかし、そんなことはクラス全ての子供が数学の天才でもない限り実現不可能なことです。

たいていの子供は、自分にとってはわけのわからない微分積分の問題集を眺めて途方にくれるだけで、ひたすらフリーズ(固まった)状態になってしまうでしょう。

このような状態になってしまったら、どんなに時間をかけて問題集とにらめっこしても解けるわけありません。

しかし「あくまでも子供たちの自主性と自由な発想に任せる」といって数学の先生が、途方にくれている子供たちを放置したらどうなるでしょうか。

小学校の六年間、ひたすらわけのわからない微分積分の問題集の前でフリーズして終わりです。

その結果、小学校でやっておくべき、足し算・引き算や掛け算九九の暗記、分数の計算など数学の基礎を何も学ばずに時間を浪費して卒業といったことになってしまいます。

実現不可能な極端な理想主義のおかげで、数学の天才を創り出すどころか、数学の基礎さえできていない落第生を大量生産してしまうことになるわけです。

 ジーコ監督の4年間というのは、まさにこれだったのではないかと強く思います。

選手個々の自由と自主性に任せて、ワールドカップでベスト8以上を狙えるような日本独自のサッカーを生み出すことができるのなら、それは理想的なことです。

しかし日本代表の選手たちは、それが可能になるほどサッカーの世界的な天才でも何でもありませんでした。それは初めからわかりきっていたことです。

ジーコ監督自身が途中で誤りに気づくチャンスはこの4年間でいくらでもありました。

それでもジーコ監督はこの4年間、「選手たちの自主性に任せる」という大義名分で悪化する一方の事態を意図的に放置してきました。

到達することがとうてい不可能な理想の実現のために。

その結果、選手たちは「世界トップレベルで通用する日本サッカーを生み出す」という難しい問題集の前で、ひたすらフリーズ状態に陥り、そのままワールドカップに突入してしまった。

4年間ひたすら放置されてきた日本代表の選手たちは、サッカーの基礎学力が穴だらけの落第生レベルにまで落ち込んでしまったのです。

このような日本代表が、基礎ができて当たり前、応用力の高さで勝敗が分かれるW杯決勝トーナメントに進出し、勝ち上がっていくことなど、奇跡に近いことです。

 この点、オーストラリア代表監督のヒディンクは、練習する時間が限られているA代表という現実から目をそらすことなく、生徒に基礎学力の穴があればそれを短時間でふさいで合格点レベルにまで持っていき、ある程度の応用までできるようにしてやる先生(監督)としての能力がありました。

オーストラリアはビドゥカやキューエルに代表される海外リーグにちらばってプレーする選手たちを、代表の一つのチームとしてまとめるのにずっと苦労してきました。

オセアニア選手権やワールドカップ・オセアニア予選はほとんど国内組だけで勝ち抜けるので、わざわざ地球の裏側から海外組を呼ばなくても良いからです。

ですから、代表としてフルメンバーをそろえての真剣勝負の場はワールドカップ予選の大陸間プレーオフぐらいしかありませんでした。

欧州リーグで活躍する選手を多くかかえながら、代表をまとめ一つのチームとして経験をつむ時間とチャンスが少ないオーストラリアは、98年大会プレーオフではイランに、2002年大会プレーオフではウルグアイに敗れました。

しかし、ヒディンクはそのオーストラリアを数十年ぶりにW杯に出場させ、決勝T進出を果たした。

現実をみすえた戦略をもつヒディンクと、実現不可能な理想を追いかけるだけだったジーコの監督としての力量は歴然としていると思います。

 この4年間でジーコ監督が残したものは、彼本来の意図とは違っていたとしても、解決されるべき問題の放置とひたすらの時間の浪費でした。

その結果導かれたものは、日本代表の退化に他ならなかったと思います。


つづく



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