■2011年02月

■まだ、終わってません。

 最近コメントを下さった方が何か誤解されているようですが、このブログはまだ終わっていません(苦笑)

ブログタイトルの下にも書いてありますが、うちは日本代表を主に取り上げるブログですので、記事のアップは代表戦の前後が中心ということになります。

ですから普段は1日にお越しいただく読者の方が数百人程度なんですが、代表戦の記事をアップした日は1500人以上に膨れ上がるということもしばしばある、アップダウンの激しいブログなんです。

1月中はアジアカップがあり代表戦が週2試合ペースで続きましたので、ちょっと特別な状況だったということです。

 さてせっかく記事をアップしたので代表の話題を一つ。

先週はじめアジア杯カタール大会制覇・広州アジア大会サッカー競技男女W優勝を祝うパーティーが開催されました。

イタリアからザッケローニ監督も駆けつけてくれたのですが、そこで彼がこんなスピーチをしたそうです。(参照記事) 

「アジア杯を制したが、これが到達点ではない。14年W杯ブラジル大会では世界のトップを争う実力のあるチームとして戦いたい」

ザックジャパンとして、W杯ブラジル大会で優勝争いにからみたいということでしょうか。

目標を高く持つことは良いことだと思いますし、ぜひ日本代表がW杯で優勝争いをするところを見てみたいですね。

目標を設定することで自分たちが何をなすべきかをより明確にしやすくなりますし、それが高ければおのずと必要とされる努力の質も量も、高く多くなっていきます。

岡田前監督が「W杯ベスト4」という目標を打ち出した時さんざん叩かれましたけど、もし「決勝T進出でOK」に妥協していたら「南アフリカ大会ベスト16」は無かったかもしれません。

もっともW杯後に一部マスコミから出てきた「ベスト4進出という目標が達成できなかったのだから失敗だ」という主張は、W杯直前に日本代表がボロボロだった状態を考えれば、欲をかきすぎだと思います。

 日本代表をW杯で優勝争いをするようなチームへと強化するために大切なのは「世界の強豪との真剣勝負の経験」ですが、その数少ないチャンスが今年夏にアルゼンチンで開催されるコパアメリカです。

ところがコパアメリカは国内組中心の編成で臨む方針だそうです。(参照記事)

コパアメリカ参加国がそれぞれどんなメンバーを召集してくるのかは現時点でわかりませんが、それではもったいない気がします。

確かに疲労がたまっている選手もいるでしょうし、選手の健康を最優先に召集メンバーを考えて欲しいです。

勝っても負けても国内組の選手にとっては、貴重な経験になるでしょう。

しかしながらアルゼンチンも開催国のメンツをかけてベストメンバーを組んでくるでしょうし、日本代表もできるだけ良いメンバーでアルゼンチンとガチンコ勝負してグループリーグを突破し、決勝トーナメントで本気のブラジルやW杯4位のウルグアイとやりたいところです。

そのチャンスをみすみす見逃してしまうのは、どうしてももったいなく思えてしまいます。

あと、日本代表がアルゼンチン入りするのが大会ぎりぎりで、1月のアジアカップのようにぶっつけ本番状態となりそうなのも気がかりです。

コパアメリカはアジアカップよりレベルの高い大会なので、ぶっつけ本番だったヨルダンやシリアとの試合のようなことがあるとリカバリーは困難で、アルゼンチンとの最終戦を迎える前にグループリーグ敗退決定なんてことになりかねません。

初戦の日本VSコロンビア、勝った方が決勝T行きという大事な試合になりそうですし、ボリビアも油断できない相手。

ある程度余裕をもってアルゼンチン入りし、練習試合も1試合ぐらいは組みたいところなのですが、コパアメリカ直前までJリーグの日程が入っています。(個人的には、もう1週間でも早くJリーグは中断できなかったのかなと思いますが)

そう考えると海外組中心のメンバーを組んだ方が良いような気もしますが、世界の強豪との貴重なガチンコ勝負の場ですから、海外組・国内組双方の選手のコンディションを勘案して、7月までにベストの解決策を見出して欲しいと思います。

 最後に国内サッカーの話題を。

昨日、日本のサッカーシーズン到来をつげるゼロックス・スーパーカップが開催され、Jリーグ王者の名古屋がPK戦のすえに天皇杯覇者の鹿島を下しました。

厳しい見方をすれば、勝負を分けたのはGKの出来だったかなと思います。

やはりPK戦での楢崎選手のセービングが光りましたし、GKがゴールマウスを空けて前へ出たら最低でもボールに触らないといけませんが、そう考えると名古屋の先制点は増川選手のヘッドも良かったのですが、鹿島GKの判断ミスという面もあったように思います。

チーム戦術面では、ダニルソン選手が欠場のせいか名古屋のMF3人の相手ボール保持者へのプレスが甘く、そのせいで鹿島に危険なシュートチャンスを何度か与えていましたし、鹿島も4バックがしばしば横に間延びしていたところが気になりました。

まだ実戦感覚が戻っていないということなら良いんですが、Jリーグ開幕戦やACLまでに要修正ポイントではないでしょうか。



 

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■一つの時代の終わり・新しい時代のはじまり?(最終回)

前回のお話はこちら


 オーストリアの古都ウィーンからハンガリーの首都ブダペストを貫き、旧ユーゴスラビアのベオグラードへと流れる東欧の大河ドナウ。

70年代オランダ代表のトータルフットボールや現在のFCバルセロナ・スペイン代表がやっている攻撃サッカーの源流が、この大河の流域にあります。

イタリアやイングランドを破り、2-3-2-3システムを用いた流動性あふれるスタイルから「ドナウの渦巻き」と呼ばれた、1920~30年代のオーストリア代表「ヴンダーチーム」。

「ドナウの渦巻き」の後継者であり、当時最新鋭のシステム4-2-4とポジションチェンジを使ってイングランド代表を聖地ウェンブリーで6-3と破り、イギリスメディアに(サッカーの母国の)神々の黄昏と言わしめた「マジックマジャール」こと50年代のハンガリー代表。

06年W杯での惨敗のあと日本代表監督に就任したのは、彼ら「ドナウ派」の影響を強く受ける旧ユーゴスラビア出身のイビチャ・オシム氏でした。

「永遠にできない」と前置きしながらもトータルフットボールを理想とし、「考えて走る」ことで人とボールを流動的に動かすタテに速い攻撃サッカーを目指します。

選手が質の高いオフ・ザ・ボールの動きを要求されるところが、ジーコジャパン時代と一番変わったところではなかったでしょうか。

当初は山岸・羽生選手といった運動量豊富なプレーヤーが起用されましたがうまく機能したとは言えず、結局オシム氏が言うところの「守備ができない」中村俊輔選手を代表に呼び戻し、いろいろ試したシステムも4-4-2や4-2-3-1に落ち着きました。

07年アジアカップではオーストラリアを破ってドイツW杯のリベンジを果たすなど成果もありましたが4位。

まもなくオシム氏は病に倒れ、彼のサッカーは未完に終わってしまいます。

オシムジャパンでもっとも成長した選手は遠藤保仁選手ではないでしょうか。

技術は高いもののジーコジャパン時代は運動量がとても少なくて、消えている時間の長い選手だったように思います。

オシム氏が代表監督に就任すると練習で求められる運動量が急激にあがり、遠藤選手はそのハードさに当初は目を白黒させていた感じでしたが、オフ・ザ・ボールの動きが見違えるように良くなったことで彼本来の高い技術を生かすチャンスが増え、オシムジャパン以降代表に欠かせない選手として定着します。

 志半ばで倒れたオシム氏を引き継いだのは岡田武史氏でした。

岡田ジャパンは「たとえ相手がどこであろうとも正面から挑んで勝つサッカー」というコンセプトをかかげました。

しかしアジア予選まではそれで良かったのかもしれませんが、W杯常連レベルとの試合になると厳しい現実を思い知らされます。

W杯イヤーに突入した2月の東アジア選手権で韓国に敗北し、ほぼ2軍のセルビアにも0-3の完敗。

リベンジを誓ったW杯壮行試合の韓国戦で再び完敗を喫してしまいます。

残念ながら当時の代表からは、組織的な連動性というものがあまり感じられませんでした。

やはり日本サッカーに対する南米の影響の強さなのか、02年ブラジル代表のように攻撃時は中村俊輔選手を中心に各プレーヤーが自由奔放にポジションチェンジしていき、守備でもまるで約束事が無いかのように不規則にプレスをかけ続けるために、チーム陣形が間延びしやすいのがこのチームの特徴でした。

陣形が間延びし選手一人当たりの担当スペースが広くなると、ワールドクラスのチームと比べて個の能力で劣勢というウィークポイントが余計に強調され、大量失点と敗北を重ねていきます。

第1回で「オランダ人選手は広いスペースではスキルの高いブラジルやアルゼンチンの選手に対抗できない。だから陣形をコンパクトにして敵選手を狭いスペースの中に閉じ込めたいと考えた」というヨハン・クライフ氏の言葉を紹介しましたが、それとは逆の状態だったということです。

岡田監督はW杯開幕まで2週間をきったイングランド代表とのテストマッチから中村俊輔選手を外し、4-1-4-1システムで組織的な守備ブロックをつくり、それを引きぎみに置くことで相手にスペースを与えない堅守速攻型サッカーに変更するという決断をします。

この決断が日本代表における「一つの時代の終わりの始まり」だったように思います。

W杯本大会直前の戦術変更がギリギリ間に合って、初戦でカメルーンに勝利。

オランダに0-1と善戦して自信をつけた代表はデンマークに完勝して決勝トーナメント進出。

パラグアイとPK戦までもつれる激闘を繰り広げ、惜しくもベスト8進出はなりませんでしたが、自国開催以外でのW杯初勝利・初のベスト16は、W杯直前のどん底状態を思えば望外の成功と言えるでしょう。

ドイツでの大敗がよほど印象的だったのか、世界のメディアから「日本サッカーが復活することはもう無いと思っていた」と驚きの声があがります。

現在インテルでプレーする長友選手を始めとして多くの日本人プレーヤー見直され、欧州へ移籍するきっかけともなりました。

 南アフリカW杯ベスト16の成功を受けて就任したのが、イタリアのビッグクラブを指揮してきた経験を持つアルベルト・ザッケローニ現代表監督です。

「教授」とでも名づけたくなるように細かい戦術指導を行うザッケローニ監督は、岡田ジャパン時代よりも守備ブロックを前方へ押し上げて、タテのスピードを持ったより攻撃的なサッカーを志向しています。

攻撃時は4-2-3-1、守備時は両サイドハーフが下がって4-4-2でブロックをつくるのが基本戦術となっていますが、試合中ザッケローニ監督がテクニカルエリアに出て、両手で盛んに「陣形をコンパクトに」とジェスチャーするのがトレードマークとなりました。

90年代にFCバルセロナの監督をやっていたクライフ氏に会いに行き攻撃の戦術指導を請うたそうで、彼もまたトータルフットボールの影響を受けている一人と言えるでしょう。

ウディネーゼやACミランで、イタリアでは異端とも言える3-4-3システムを採用していたのもこのエピソードを聞けば納得です。

就任早々のテストマッチでは日本代表をアルゼンチン戦初勝利に導き、今年1月のアジアカップでは4度目のアジア制覇を果たしました。

カタールのブルーノ・メツ監督が、ショートパス主体で相手を崩すザックジャパンのサッカーを「アジアのFCバルセロナ」と評していましたが、やはりザッケローニ監督はクライフ氏の「弟子」ということでしょうか。

 これまでの日本代表のサッカーは、今では本家でもなかなか見られなくなっているような、クラシックな南米スタイルをどこかひきずっている感がありました。

それは良くも悪くも中盤にいるややクラシックなタイプのプレーメーカー中心のサッカーで、攻撃も守備も個の能力で解決することをベースとしていました。

しかし南アフリカW杯以降、フィールドプレーヤー10人がコンパクトな陣形を維持し、一つの組織として相手が使えるスペースを限定する守備をするようになります。

ザックジャパンになってからは、攻撃面でも組織力がレベルアップしています。

そのおかげで、テストマッチとはいえ「個の自由」の時代では何度兆戦しても敗北を繰り返していた、自分たちより個の能力で勝るアルゼンチンとの試合に勝利するという結果を得られました。

そして左サイドハーフに入ったドルトムントの香川選手が日本代表の新しい10番像を確立しようとしています。

ラストパスを出したらそこで満足して足を止めてしまうのではなく、チャンスメークのみならずサイドからゴール前へ切れこんでパスを受けたら自分でゴールまで持っていってしまう、得点能力の高い10番です。

1点ビハインドでしかも1人少ない状況から、香川選手がワンゴール・ワン「アシスト」した準々決勝のカタール戦は、それを象徴する試合となりました。

ウイング的なプレーヤーとしては、フェイエノールトで鮮烈なデビューを飾った宮市亮選手の方が適性があるかもしれません。

2014年W杯までにエールディビジやプレミアで順調に成長できれば、A代表でどういうプレーを見せてくれるか非常に楽しみになってきます。

彼らを生かすために、将来は4-2-1-3のシステムが採用されるかもしれません。

前回の記事で指摘しましたが、02年W杯以後世界のサッカーは急速に組織化が進み、チームの花形が中盤のパサーからウイング的な選手へと移っていき、システムも4-2-3-1や4-3-3といったサイド攻撃がやりやすいシステムが主流となりました。

そうした世界の流れがようやくこの日本にもやってきたことを実感するとともに、日本サッカーの一つの時代の終わりと新しい時代の到来を予感しています。

組織力が日本代表に勝利という結果をもたらし、試合に勝つことで自信をつけた選手が個の能力を底上げしていく、それが日本サッカー界全体に広く波及していくという好循環が、今まさに起こっています。

 ここで微妙な位置に立たされているのが、本田圭佑選手ではないでしょうか。

スピードを重視した組織サッカー全盛のこの時代、中盤でルックアップしてゆっくりとボールを持ちたがるエンガンチェ(クラシックなタイプのプレーメーカー)の居場所が、特にビッグクラブではどんどん無くなっています。

そのため、アルゼンチンのリケルメや中村俊輔選手のような「不遇の天才」も現れました。

ビッグクラブへ移籍して10番をつけたいという本田選手の夢を実現するためには、スペインのシャビやオランダのスナイデルのように現代戦術のもとで生き残る術を身につける必要があるでしょう。

私が期待する選手の一人だけに、アジアカップでは「パスの美学」に重きを置くクラシックな司令塔としての顔をちょっとのぞかせていたのが気になりました。

「パスの美学は捨てた。今はゴールの美学を追及している」と言っていたころの本田選手が、一番輝いていたように思います。

 4回にわたって90年代以降の日本代表の歴史を追ってきましたが、代表がどういう戦術をとる監督のもとで成功してきたか一つの法則が見えてきたと思います。

しかし、成功してもそのやり方を継続して成果を積み上げていくことができなかったのが、これまでの日本代表でした。

アルゼンチンに勝利し4度目のアジアカップ優勝を果たしたザックジャパンはそのサッカースタイルとともに、代表の新しい時代の幕開けを予感させます。

セピア色の写真の中にしか存在しないサッカーを追いかけ、過ぎ去った時代を逆戻りさせるような不毛なできごとが二度と起きないことを強く祈って、このシリーズを終えることにします。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。






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■一つの時代の終わり・新しい時代のはじまり?(その3)

前回のお話はこちら

 2002年W杯におけるトルシエジャパンの成功の後、日本代表監督に迎えられたのはブラジルの伝説的名選手だったジーコ氏でした。

前任者とは目指すサッカーのコンセプトが180°違うといってよく、彼自身がプレーした1982年W杯のブラジル代表のように中盤をボックス型にした4-4-2に中田英・中村俊・小野・稲本の「黄金のカルテット」を起用、「個の自由」に基づくサッカーを理想としてかかげます。

しかし結論から言えば、02年日韓W杯が終わって次の06年ドイツW杯がはじまるまでの4年間は、日本が世界のサッカーの進化から一番遅れをとった時期となりました。

ジーコ氏はブラジル的な4-4-2を理想としたものの、それで結果が出ずに大部分の期間3-5-2で戦いましたが、どちらにせよチーム陣形を組織的にコンパクトに保つという思想は皆無でした。

それでも個の能力の高さで04年アジアカップ優勝を勝ち取りW杯予選も突破しましたが、世界レベルではそれが通じずにドイツW杯では初戦のオーストラリアに大逆転負け。

付け焼刃的に4-4-2に戻しましたが、ブラジルにも大敗してグループリーグ敗退。

W杯後、代表人気の陰りと国民のサッカー離れが言われるようになり、日本サッカーは危機的状況となります。

02年W杯の優勝国はブラジルでしたが、純粋に守っているのはGKとセンターバック2枚ぐらいで、残りの8人が自由奔放にどんどん攻め上がっていくまさに「個の自由」に基づいたチーム。

そうした「セレソン」の優勝を目の当たりにして、02年W杯後に「個の自由」に基づくサッカーを自分たちもやりたいと思ってしまった人が日本に出てきたことは、無理もないことだったかもしれません。

クラブレベルでもちょうどそのころ、フィーゴ・ジダン・ラウルなどを擁し「銀河系軍団」と呼ばれたレアルマドリードが個の能力の高さを前面に押し出し、リーガやチャンピオンズリーグで華々しい優勝を飾っていました。

 ところが皮肉なことに、02年W杯のあと世界のサッカーは急速に組織化が進みます。

モウリーニョ率いるチェルシー、ベニテスのリバプール、ベンゲルのアーセナル、そしてマンチェスターユナイテッドのプレミア勢に、FCバルセロナがからんでチャンピオンズリーグを舞台に高度な組織サッカーが展開されました。

02年W杯までは日本代表を含めて3バックを採用したチームがかなりありましたが、その後4-3-3や4-2-3-1、中盤をフラットにした4-4-2といったサイド攻撃をより重視したシステムが時代の主流となっていきます。

それまではジダンやベッカムに代表される決定的なパスを出す中盤のパサーがチームの花形でしたが、主流となったシステムの変化にともないブラジルのロナウジーニョ(バルサ時代)、オランダのロッベン、アルゼンチンのメッシ、ポルトガルのC.ロナウド、スペインのイニエスタといったウイング的な選手にチームの花形が移っていきます。

02年のブラジル代表は「個の自由」で優勝した最後のチームとなり(今のところは)、06年ドイツW杯の頃にはすっかり組織サッカー全盛の時代になっていて、個の能力が高いのは当り前、それプラスいかに組織力を高めるかというところで世界トップレベルのチームはしのぎを削っていました。

結局ブラジルはベスト4にも残れず、優勝したのはイタリアでした。

ジーコ氏も日本サッカーのために良かれと思ってやったのでしょうが、間延びした3-5-2システムで「個の自由」に基づくサッカーをかかげてドイツに乗りこんだジーコジャパンは、今から見ればいかにも時代遅れでした。

3-5-2にしろ4-4-2にしろ、せめて日本代表がコンパクトな陣形を保った組織サッカーを06年W杯で展開できれば、ダメージを最小限にとどめることができたのかもしれません。

 ところで日本中がその優勝を目の当たりにした02年ブラジル代表に、3バックがのちに時代遅れとなる予兆が既にあらわれていたように思います。

ブラジルの決勝トーナメント1回戦の相手はベルギーでしたが、ブラジルの3-6-1に対してベルギーは2000年ユーロ優勝国フランスも採用していた当時最新鋭のシステムと言える4-2-3-1です。


ブラジル×ベルギー
(クリックで拡大)


ブラジル代表は試合中自由奔放にどんどんポジションチェンジしていくのでだいたいその辺りにいると考えてほしいのですが、両チームのマッチアップと数的有利・不利になっているところを見てみると、ベルギーのワントップに対してブラジルはセンターバックが2人も余っており、他方、両サイドではベルギーが2対1で優勢になっています。

ロナウド(9)とロナウジーニョ(11)に対し、ベルギーがセンターバック2枚とサイドバック1枚で見るようにして3対2にしたとしても、必ずどちらか一方のサイドではベルギーが数的優位なわけです。

実際の試合では、ブラジルのフェリペ監督が余っているセンターバックのエヂミウソン(5)を中盤に上げますが、バックのエヂミウソンはミスパスを連発、ドリブルで突っかければベルギーのプレスにかかってボールを失う始末でブラジルは苦戦。

ベルギーは中盤の底にいるレジスタのワーレム(10)がボールを左右に散らし、4-2-3-1システムの有利さを利用してサイド攻撃から良い形をつくったところまではワセイジュ監督の計算通りでした。

そして右サイドからのクロスをヴィルモッツがヘッド、ボールがゴールネットをゆらしてベルギー先制かと思いきや、レフェリーがゴールを取り消すという不可解な判定。

逆にペータース(15)が一瞬バイタルエリアでリバウド(10)をフリーにしてしまい、リバウドがミドルを叩きこんでブラジルが先制。緊張の糸がぷっつり切れたベルギーはそこからガタガタッといって負けてしまいます。

システムの優劣が必ずしも試合の勝敗を決定づけるものではないということなのかもしれませんが、02年以降3バックがすたれてしまった理由は、このように今主流となっている1トップや3トップといったシステムとの相性の悪さが大きいと思います。

相手より不利なシステムを採用して良いことは無いでしょう。特に世界最高の個の能力を持っていないチームが常に試合に勝ちたいと望むなら。

ちなみにフェリペ氏はW杯優勝監督としてポルトガル代表に迎えられますが、ユーロ04では4-2-3-1を採用してポルトガルを準優勝へと導きます。

ブラジルも06年W杯では4バックに変わっていました。

そう考えると、やはりジーコジャパンは世界のサッカーの進化から取り残された感がありました。

トルシエジャパンの遺産を引き継いだジーコジャパンは、個の能力では前者と同等かそれ以上でした。

にもかかわらずドイツW杯で惨敗を喫したのは何が欠けていたのか、一目瞭然ではないでしょうか。

選手が世界最高の個の能力を持っていることを前提とした80年代のブラジル代表の戦術は、そのような能力を持たない当時の日本代表にはやはり合わなかったと思います。

誤解のないよう言っておきますが、私は80年代のブラジル的な戦術が当時の日本代表に合わなかったと言っているだけで、90年代にサンパウロ州選手権やリベルタドーレス杯を楽しみに見ていた私は、自由奔放なブラジルらしいサッカーが近年セレソンでも見られなくなっていることについて寂しく感じています。

また、南米は世界のサッカーの発展に大きな貢献をしていますし、その影響で日本人選手の技術が高いこともとても良いことだと思います。

 ドイツW杯における惨敗のあと、「日本代表という止まった車を全員で強く押さなければならない」と語る、イビチャ・オシム氏が新監督に就任します。

オシムジャパンからザックジャパンまでは、次回で取り上げましょう。




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■一つの時代の終わり・新しい時代のはじまり?(その2)

 前回の記事では、日本に与えたブラジルサッカーの影響がとても強かったこと、そのことは日本人選手の技術力向上に大きな貢献があったものの、世界最高の個の能力を前提としたブラジル的なチーム戦術は日本のチームに合わなかったのではないかというところまでお話しました。

 さて、1992年に日本代表初の外国人監督としてオランダ人のマリウス・ヨハン・オフト氏が就任するわけですが、これは日本サッカー協会の大英断だったと思います。

当時も中東勢や韓国に対し日本人選手は個の能力、とくにフィジカル(当たりの強さ)では劣勢でした。

サッカー後進地域だったアジアは戦術で世界から大きく遅れをとっており、戦術面を高めて劣勢な個の能力をカバーすれば日本だって中東勢や韓国に対抗できるはずだと考えたオフト氏はスモールフィールド(コンパクトな陣形)・トライアングル・アイコンタクトといったキーワードを使い、かんでふくめるように日本代表にヨーロッパ的な組織サッカーを植えつけていきます。

当初ラモス瑠偉選手とオフト監督との間で確執があったようですが、「オフト・マジック」の効果は劇的でした。

1992年に自国開催となったアジアカップで初優勝、翌93年にカタール・ドーハで開催されたW杯アジア最終予選では、くしくも18年後日本代表が豪州を破り4度目のアジア制覇をはたす舞台となるハリファ・スタジアムにおいて韓国を1-0で撃破します。

W杯予選において日本が韓国に勝利したのはこれが史上初めてのことでした。

この勝利によって最終節を残し日本は予選首位に踊り出たのですが、次のイラク戦であのドーハの悲劇を迎えることになります。

イラクはアジアでは珍しい組織サッカーのチームで、それが最終戦の相手だったというところに何か因縁めいたものを感じるのですが、日本のストロングポイントだった組織力で互角、個の能力でもイラクは日本と互角以上ということで試合は2-2のドロー、日本は土壇場でアメリカ行きの切符を逃してしまいました。

組織サッカー最強の敵もまた、組織サッカーだったということなのでしょうか。

私は、W杯には行けなかったもののオフト氏のコンセプトはおおむね正しかったと思いますし、実際アジアのセカンドクラスに属し、長いあいだ中東勢や韓国に歯が立たなかった日本代表を短期間でアジアトップクラスに引き上げたオフト氏の功績は非常に大きいものでした。

 ところが94年W杯でブラジルが優勝したからでしょうか、次の代表監督にブラジルの往年の名選手パウロ・ロベルト・ファルカン氏が招聘されます。

ファルカンジャパンは同じ年の秋に開催された広島アジア大会にのぞみますが、UAEやカタールに苦戦、ミャンマーに勝ってグループリーグを何とか突破したものの決勝トーナメント初戦で韓国に敗れ、監督は解任されます。

ファルカン元監督で評価できる点があったとすれば次のエピソードでしょう。

試合に負けてスタジアムを去ろうとするファルカン氏に向かって、ある代表サポが空き缶をなげつけたそうです。

するとファルカン氏は「日本にも本物のサッカーファンが一人だけいたな」とつぶやいたとか。

もちろん空き缶を投げるのはいけないことですが、自分の出した結果についての批判は甘んじて受ける。

ファルカン氏もまた、本物の現場のプロだったと言えるでしょう。

 外国人では選手とのコミュニケーションが不安ということで代表監督に就任したのが加茂周氏でした。

加茂氏は80年代末にACミランで展開されたアリゴ・サッキ監督のサッカー戦術「ゾーンプレス」を日本代表に導入しようとします。

しかしアジアカップ96で問題が持ちあがります。

3戦全勝でグループリーグを突破した加茂ジャパンでしたが、決勝トーナメント初戦でカウンターからクウェートに2ゴールを浴び、早すぎる帰国への途につきます。

それ以降「カウンターへの恐怖」が刻みこまれてしまった日本代表は、点を取りたくて前へ前へ行きたい攻撃の選手とカウンターが怖くてズルズル下がるボランチより後ろの選手とでチームが分裂状態になります。

「ゾーンプレス」という戦術のキモは、バックからFWまでチーム陣形を25~30m以内にコンパクトに保つことですが、加茂ジャパンはカウンター対策として3バックを導入します。

しかしスイーパーを1人余らせる3バックはかえって陣形が間延びしやすく、やろうとしている戦術とシステムが明らかにミスマッチでした。

結局、抜本的な解決が図れないままW杯アジア最終予選で苦戦を強いられ、加茂氏は解任されます。

加茂ジャパンの方向性は決して間違ってはいなかったものの、チームとして戦術が消化不良になっていたように思います。

まだ日本サッカー界がヨーロッパの組織戦術を理解しきれていなかったせいかもしれません。

ピンチヒッターはコーチから昇格した岡田武史氏です。

予選終盤は中盤をダイアモンドにした4-4-2にしてW杯初出場を決め、フランスW杯では3-5-2で戦いましたが3戦全敗に終わります。

第一期岡田ジャパンは加茂ジャパンをベースにしていたので、チーム陣形はかなり間延びしたものでした。

 つづいて代表監督に就任したのがフランス人のフィリップ・トルシエ氏でした。

久しぶりのヨーロッパ人監督の起用となりましたが、彼はオフサイドトラップを多用しゾーンで守る3バック「フラットスリー」という独特の戦術を導入したことで有名ですね。

さすがに欧州系の監督だけに陣形をコンパクトにしようという姿勢も強く感じられました。

選手の育成も上手く、99年ワールドユース準優勝から始まりシドニーオリンピックベスト8、2000年アジアカップではすでに突破を決めて主力を休ませたグループリーグ最終戦以外すべて相手を90分以内で倒すという圧倒的な優勝、01年日韓コンフェデレーションズカップではフランスに次いで準優勝と「黄金世代」はステップアップ。

02年W杯では、日本代表を初の決勝トーナメント進出へと導きました。

W杯前の日本の目標は「開催国としての義務である決勝トーナメント進出」でしたから、トルシエジャパンは成功だったと思います。

W杯に出たことも無かった国がこれほど短期間のうちに決勝トーナメントに進出したことは快挙ですし、少なくともノルマは果たしたと言えるでしょう。

しかし多くの日本人がライバルと考える韓国が4位になったので、一部の人のやり場の無い不満がトルシエ氏に向かった面もあったのではないでしょうか。

もしそうなら日本サッカー界の目標設定にも問題があったように思います。

日本の目標は「決勝トーナメント進出」であり、韓国の目標は「常に日本より上になること」でした。

そして02年W杯では、それぞれの目標通りになったというわけです。

「韓国より下」で不満なのであれば、最初から「韓国より上になること」を明確な目標として位置づけるべきでした。

また決勝T1回戦のトルコ戦で、西澤選手をトップに三都主選手を1.5列目ぎみに置いたトルシエ氏の采配に批判が集中します。私も当時強い疑問を感じました。

南アフリカW杯直前に02年W杯の代表戦を録画映像で見直したのですが、初戦をのぞけば鈴木・柳沢の2トップが不発で、第3戦のチュニジア戦後半から柳沢選手の代わりに森島選手を入れて彼が先制点をゲットしたため、トルシエ氏が鈴木・柳沢の2トップをいじりたくなったのは、今ではわからなくもないと思えるようになりました。

もっとも、西澤・三都主起用の新システムという賭けは残念ながら成功しなかったのですが。

それでも当時、中田英寿選手がパルマ、小野伸二選手がフェイエノールト、稲本潤一選手がアーセナルへ移籍しており、日本サッカーに明るい未来が開けているように感じられました。

少なくともこの時点までは。

このように見てくると、欧州出身の監督が就任した時に、日本代表はめざましい進歩と勝利という結果を手に入れていることがわかります。

次回へつづきます。




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■一つの時代の終わり・新しい時代のはじまり?(その1)

 2010年W杯ベスト16、そして2011年アジアカップ優勝と一時期の絶不調が嘘のような快進撃が続く日本代表。

W杯南アフリカ大会の前とそれ以降で日本代表の戦い方、特にチーム戦術の面で革命的と言ってよいような大きな変革がありました。

日本サッカーの一つの時代が終わりを告げ、W杯南アフリカ大会以降あたらしい時代に入ったと言えるのかもしれません。

それでは何がどう変わったのでしょうか?

 サッカーに関する限りもともと日本は南米(特にブラジル)の影響がとても強く、まるでアジアにおける南米の飛び地のようなところでした。

Jリーグ草創期をリードしたヴェルディ川崎は読売クラブ時代からブラジルサッカーの強い影響を受けていましたし、ヴェルディと名勝負を繰り広げた鹿島アントラーズもブラジルの名選手ジーコが立ち上げたようなものです。

アルゼンチン派は、ラモン・ディアスやメディナベージョがいた横浜マリノスぐらいだったでしょうか。

これ以外にも多くのクラブでブラジル人選手・監督が活躍してきましたから、日本がブラジルサッカーの影響を強く受けたのは無理もないことでした。

日本人選手の技術力向上についてはブラジルの貢献度はかなりのものがありましたし、その影響は日本のチーム戦術・サッカースタイルにも及びました。

グローバリゼーションとでも言うのでしょうか、今でこそ世界各国のサッカースタイルはだんだんと地域差がなくなり、私にとっては寂しいかぎりなのですが、90年代始めまでは欧州・南米・アフリカとそれぞれはっきりと違う独自のサッカースタイルと戦術がありました。

それでは伝統的なブラジルサッカーのスタイル・戦術とはどういうものだったのでしょうか。

 今となってはリアルタイムで見ていた人も少なくなったのかもしれませんが、90年代はじめ頃までのカンピオナート・パウリスタ(サンパウロ州選手権)において見られた典型的な「古き良きブラジルスタイル」とは次のようなものです。

守備は4バックのゾーンで守り、ボールを奪われたら前から積極的にプレスをかけるようなことをせず、攻撃の選手を前線に残したまま自陣深くにまず引いて、相手の攻撃がこちらの守備網にひっかかるのを待つようなリトリート・ディフェンス。

欧州のようにコンパクトな陣形を保って相手が使えるスペースを限定するという思想はなく、一人一人が広いスペースを担当して個の能力で守る傾向が強いと言えます。

そしてバックなりボランチなりがボールを奪い返したら、まず決定的な仕事のできる10番(司令塔タイプの選手)を探し、ほとんどの場合彼にいったんボールを預け、そこから攻撃が展開されます。

10番は、スペースが広く開いた中盤をゆったりとドリブルしつつ、ルックアップして相手守備網の穴を探します。

以下の図は緑チーム(パルメイラスをイメージ)の攻撃を防いだ白チーム(コリンチャンスをイメージ)が10番にボールを預け、10番はゆったりとドリブルしながら前方を見回しているイメージ。

そしてアタッキングサードに侵入し、相手ボランチを抜いたあたりから急にスピードアップして、10番の意図を感じとった味方が相手ディフェンスのウラへ抜けそこへスルーパスを出す、あるいはワンツーを使って自分が相手のウラへ抜け出しシュート、もしくは自分の個人技で相手選手を何人も抜いて強引な中央突破をはかる、といったサッカーがいかにもブラジルらしい戦術と言えるでしょう。


南米
(クリックで拡大)

欧州


比較として、コンパクトな陣形を保った現代ヨーロッパスタイルのチーム同士の試合をイメージした図を載せておきましたが、いかに一人の選手が使えるスペースの広さが違うかがよくわかると思います。

バックラインからFWまでをコンパクトにするという思想がそもそもなく、守りも攻めも最終的には「個の能力」で解決することを前提としていて、特に10番をつけた「司令塔」をチームの軸にしたサッカー戦術。

少なくとも90年代以降、日本のサッカーはこうしたブラジル的な戦術の影響をとても強く受けていました。

チームの軸となる、高い技術に裏打ちされた精度の高いパスを次々と繰り出す司令塔タイプの選手としては、ラモス瑠偉・名波浩・中田英寿・小野伸二・小笠原満男・中村俊輔といった選手が代表的ではないでしょうか。

また、司令塔タイプの日本人選手特有の傾向として、浮き球のロングパスを出すことを好む選手が多いことを指摘できるでしょう。

それは彼らの体に染みついた高校時代のサッカーのスタイルと関係がありそうです。

当ブログ参考記事「地のサッカー」

 しかしブラジルサッカーの影響は、日本人選手の技術力の向上という面ではめざましい成果がありましたが、チーム戦術の面ではむしろ弊害の方が大きかったように思います。

コンパクトな陣形をつくるヨーロッパを中心とした現代戦術のルーツの一つが、70年代半ばまでのアヤックスやオランダ代表の「トータルフットボール」にあることは有名すぎる話です。

常にトータルフットボールの中心にいたヨハン・クライフは1973年にアヤックスからFCバルセロナに移籍しますが、アヤックスの監督だったリヌス・ミケルスが既にバルセロナの監督になっていて、FCバルセロナでもトータルフットボールが展開されます。

1974年のドイツW杯では、トータルフットボールをかかげたクライフ率いるオランダ代表にブラジル代表は0-2の完敗を喫するわけですが、その時のブラジルのキャプテンはセンターバックのマリーニョ・ペレスでした。

マリーニョも後にバルセロナに移籍してクライフのチームメートになるわけですが、クライフはトータルフットボールの戦術をなかなか理解できないマリーニョに対し「オランダ人選手は広いスペースではスキルの高いブラジルやアルゼンチンの選手に対抗できない。だから陣形をコンパクトにして敵選手を狭いスペースの中に閉じ込めたいと考えたんだ」と説明しています。

たとえ相手選手の個の能力が高くても、チーム陣形をコンパクトにして狭いスペースに閉じ込めれば、相手選手がドリブルでトップスピードに乗る前に応対できますし、陣形がコンパクトであれば味方と連携して2対1あるいは3対1と能力が高い相手に対して数的優位をつくって守ることができます。

50年代にゾーンディフェンスを発明したのはブラジルで、1958年のW杯優勝でブラジルの4-2-4システムは世界に大きな影響を与えました。

当時世界最高の個の能力を備えたガリンシャやペレを擁したブラジルは1970年までに3度のW杯優勝を飾り黄金時代をつくりあげます。

60年代以降、ブラジルはその個の能力の高さゆえに高度なチーム戦術を必要としなかったと言えるでしょう。

逆にヨーロッパは、南米に比べ個の能力で劣勢だったからこそ、60年代・70年代に当時世界最先端のサッカー戦術が発達したと言えます。

 ひるがえって日本のサッカーはどうだったでしょうか?

残念ながら日本人選手の個の能力は世界的に見ても高い方ではありませんでした。

少なくとも南アフリカW杯までは。

その日本がブラジルへのあこがれだけで、11人の選手が世界最高の個の能力を持っていることを前提としたブラジル的なチーム戦術をやろうとしたのは無謀だったと言わざるをえません。

むしろクライフが言うように、自分たちより個の能力が高い相手に勝つために生み出されたヨーロッパの組織戦術の方が日本にあっていたことは、サッカー戦術の進化の歴史を見れば明らかだったように思います。


次回は、1990年代はじめのオフトジャパンから2011年のザックジャパンに至るまで、各時代の日本代表はどういう戦術をとりどういう結末を迎えたのか、そこからお話を続けたいと思います。


つづく




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■アジアカップ総括(その2)

アジアカップ総括その1からの続き)

 それでは選手個々の働きはどうだったのかを見ていきます。

この大会で一番成長が見られたのは主に右サイドハーフを担当した岡崎選手ではないでしょうか。

彼の一番良いところは、隙あらばゴールを狙ってやろうというシュートへの高い意識。

サウジ戦のハットトリックは素晴らしいものでしたし、彼の前へ前へという積極的な姿勢からPKをゲットし何度チームが救われたことか。

韓国戦における前半18分のシュートやオーストラリア戦の後半20分のシュートも惜しかったのですが、日韓戦や決勝戦ということでやや力んだかなと思います。

ああ場面でもシュートを冷静に決められるようになれば、世界で通用するアタッカーにより近づけることでしょう。

左サイドバックの長友選手のインテル移籍はびっくりでしたが、この大会の彼の働きぶりも凄かったですね。

無尽蔵のスタミナで左サイドをかけあがり、前の選手を抜ききらないうちにダイレクトのクロスという形から、岡崎・前田選手などがゴールを量産しました。

日本が優勝を決めたゴールをアシストしたのも彼でしたが、あの試合長友選手は15km以上走っていたはずで、(普通の選手は90分で11kmぐらいが平均でしょうか)そんな状態からあの正確なクロスが出せるのですから本当に驚きです。

インテルでレギュラーポジションを獲得して世界一の左サイドバックになれるよう祈っています。

香川選手も準決勝の途中で負傷退場は残念でしたが、バイタルエリアにおいて個で局面を打開してゴールへ持っていく彼の能力には大きな可能性を感じます。

カタール戦での同点ゴールは圧巻でしたし、正直トップ下に入ったらどうなるか見たい気もしました。

早くケガが完治してほしいものですが、今後の彼の成長がさらに楽しみになってきました。

トップ下を任された本田圭選手は、大会当初はトップ下の感覚が戻っていないのかボールを持ちすぎてしまいチーム全体の攻撃のリズムを悪くしてしまいましたが、カタール戦以降は良いパスをどんどん出せるようになり、攻撃の組み立ての中心として活躍しました。

ただ岡崎・香川両選手に比べると、2列目の選手として流れの中からゴールするというプレーに関しては不満が残ります。

フリーキックもそろそろ一本決めるか、せめてワクの中に飛ばしたいところです。

決勝戦のゴールで脚光を浴びた李選手のボレーシュートは素晴らしかったのですが、まずはクラブでレギュラーポジションを獲得することが課題でしょう。

前田選手も自らゴールしたり他の選手のためにスペースをつくったりと良い動きをしていました。韓国戦の前半43分のシュートシーンですが、「たかだか韓国戦」ぐらいに考えて8割程度の力で冷静にゴールに流し込めるようになれば、もっと良いFWになれるでしょう。

遠藤・長谷部の両ボランチも地味ながらチームを土台からしっかりと支え効いていました。

特に長谷部キャプテンはチームリーダーとして板についてきて、シリア戦で川島選手を退場させたレフェリーに、「間違った判断を下すと決勝トーナメントで笛が吹けなくなりますよ。それはあなたのためにならない」と語りかけたと報じられていましたが、チームの「外交官」としてネゴシエートできるところもとても素晴らしいです。

守護神・川島選手も、シリア戦・カタール戦と今一歩の出来でしたが、準決勝・決勝とまさに鬼神の働き。

90年代前半の松永成立選手に始まり、川口・楢崎の両雄がしのぎを削る時代が長く続き、今は川島選手と日本は良いゴーリーを継続的に輩出できているアジアでは数少ない国です。

私がひそかに期待していた吉田選手ですが、カタール戦では相手の経験豊富なFWセバスチャンにチンチンにやられてしまいました。

でもそういう悔しい経験を乗り越えて選手は大きくなっていくものですし、決勝ではケーヒル・キューウェルを擁するオーストラリアを完封することに貢献できました。

欧州でもっと自分を高めて世界トップクラスのセンターバックになってくれるよう期待します。

 ザッケローニ監督の采配についてですが、準決勝の延長戦終盤に5バックにして追いつかれてしまったのは裏目に出た形になりましたが、交代で投入した選手が次々とヒーローになるなど大部分のところでは納得のいくものでした。

私が彼を外国人監督らしいなと感じたところは、「聖域」となるレギュラー選手をつくらないところですね。

日本人監督の場合、チームの中心選手を外して悪い結果が出るのを恐れ、たとえケガで足を引きずり満足に走れないような状態でも試合に出してしまうことが多いです。

ケガをした本田圭選手がサウジ戦への強行出場を監督に直訴したそうですが、ザッケローニ監督は本田選手に治療に専念するよう言い、控えの選手には「全面的に信頼している」と言ってゲームに送り出したことで、レギュラー選手をより良いコンディションに保ち、控え選手のモチベーションもあげてチーム内に競争を起こし活性化させるという、一石二鳥いや三鳥の効果をもたらしました。

こういう点は日本人指導者も参考にすべきところが大きいと思います。

決勝戦で今野選手をサイドにまわして長友選手を左サイドハーフにあげたのは選手側からのアイデアで、ザッケローニ監督が了承した結果だと報じられていますが、事実であればそれも興味深いです。

 最後に、この大会から見えてきた日本代表の今後の課題としては、南アフリカW杯での総括でも触れましたが、やはり選手個々のフィジカル能力の向上でしょう。

その記事でも「個の能力で日本人選手が世界から遅れをとっている分野の一つは、相手に体を寄せられてもバランスを失わないフィジカル能力の強さだと思います」と書きました。

欧州でプレーする日本人選手が増えて技術力や判断力など個の能力は着実に向上しているのですが、当たりの強さに関してはオーストラリア・韓国はもちろんヨルダンやシリア・カタールの選手と比べても劣勢でした。

日本の選手が技術では上回っていてもフィジカルの弱さでボールを奪われ、1対1に負けてしまうシーンが見られます。

ヨルダン代表は技術力が低くて日本相手にパスが3本とつながらないようなチームでしたが、ヨルダン戦の失点シーンはまさにフィジカル負けといった感じでした。

韓国・オーストラリアとの試合が特にそうでしたが、相手がロングボールを放りこんできて、前から来たボールをバックなりボランチなりがはね返すというのはサッカー選手にとって本当にベーシックなプレーなのですが、そこで負けてしまうのはちょっとつらいところです。

フィジカル能力は、生まれつきの身体能力やその民族の長年の食習慣なども関係してきますし、足元の技術と違ってなかなか差がつきにくい分野です。

日本サッカー界が総力をあげて取り組むべき課題ですが、技術力の足をひっぱらないようせめて世界平均レベルにまでフィジカル能力を向上させたいものです。

南アフリカW杯以降Jリーグのレフェリングも、倒れればみんなファールを取るような審判がほとんど姿を消したことは大変良い事です。

前回の守備の話とも大きく関係してくることですが、少なくとも日本人選手のフィジカル能力が世界に追いつくまでは、どんな相手であっても守備の時はタテにもヨコにもコンパクトな陣形を維持するべきだと思います。

 課題の二点目は、ピッチ内の選手だけでゲームを決める「勝負どころ」が判断できるようになること。

準決勝の韓国戦、韓国はいつもと違い体力を温存して後半勝負で来ましたが、日本が同点ゴールをあげた後、流れが一気に日本にかたむいたところで「このまま逆転ゴールをあげて試合を決めてしまおう」というチームの共通意識ができれば良かったのですが、実際は同点という状況に安住してしまい後半の韓国の猛攻まで待ってしまったように見えました。

あそこでゴールできていればもっとゲームが楽になったでしょうし、ピッチ上の選手たちでゲームの流れを読んで、一気にたたみ掛けて決勝ゴールをあげてしまう「勝負どころ」が判断できるようになれば、日本代表はもっと強いチームになれるでしょう。

 というわけで、日本代表のアジアカップの戦いぶりを総括してみました。

アジアトップとなる4度目の優勝という結果は申し分のないものでしたし、若くて経験不足な分メンタルがやや不安定なところはありますが、試合内容もおおむね良いです。

攻撃の創造性豊かなところはアジアNo.1だと思いますし、守備も戦術の約束事を思い出すために時間をある程度とってやれば、昨年のアルゼンチン戦のレベルに回復させることはそれほど難しくないはずです。

チームの方向性は正しいと思いますし、このままレベルアップさせていけば、2014年W杯が楽しみになってきます。

W杯南アフリカ大会でベスト16に入り、日本人選手が欧州主要リーグに大挙進出、香川選手を筆頭に大活躍するなど、日本サッカー界が良い方向へ良い方向へと好循環が続いています。

 南アフリカでのベスト16に引き続きアジアカップ優勝を勝ち取った日本代表。

私は、一つの時代が終わり新しい時代が始まったのを感じ取っています。

次回はそれについて、戦術面からじっくり掘り下げてお話したいと思います。

記事作成にはちょっと時間がかかるかもです。

 さて、7月のコパアメリカの話をするのは気が早すぎるのでしょうが、日本の入ったグループではまずアルゼンチンのトップ通過は堅いように思います。

となると力関係から言って、初戦の日本対コロンビア戦に勝った方が決勝Tへ進出するんじゃないかと予想するのですが、またしてもタイトなスケジュールで日本代表はぶっつけ本番でコパアメリカ初戦を迎えてしまいそうです。

これで良いのでしょうか?




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■アジアカップ総括(その1)

 それではお約束通り、アジアカップ2011カタール大会における日本代表の戦いぶりを総括してみたいと思います。

皆さんご存知の通り、日本代表はアジア単独首位となる4度目の優勝をなしとげたわけですが、準々決勝で完全アウェーのなかホスト国のカタールを破り、準決勝では韓国を破り、最後にオーストラリアを破ってのアジア制覇ですから文句無しの優勝ではないでしょうか。

南アフリカW杯においては、韓国・オーストラリアをおさえて日本代表がアジア最高の成績(2勝1敗1PK負け)をあげていますから、今回日本がアジアカップ優勝を果たした事は順当といえば順当と言えるのかもしれませんが、私が今まで4度見てきた日本のアジアカップ優勝のなかでは一番ハードだったように思います。

大会前、ザッケローニ監督は「成長」をテーマに掲げていましたが、若手選手の成長とともに優勝という結果も同時に手に入れることができたことは本当に大きかったです。

これで日本代表はW杯の前年にブラジルで開催されるコンフェデレーションズカップへの出場権を獲得し、ユーロ2012やコパアメリカ優勝国と対戦できる可能性が出てきたわけで、いつも強豪国とのマッチメイクに苦労していることを考えれば日本にとって大きなご褒美となりました。

 ただ、今回のアジアカップにのぞむにあたり日本代表は準備の時間がほとんどとれず、ぶっつけ本番となってしまいました。

日本代表は1試合1試合アジアカップを戦いながら実戦感覚を取り戻し、同時に結果も出していかなければならないという難しい課題をこなさなければなりませんでした。

選手の実戦感覚がにぶると、攻撃ではシュートやパスが適切なタイミングで出せなくなったり、守備ではボールの競り合いに厳しさが欠け、こぼれ球への反応も遅くなりがちです。

そのためグループリーグのヨルダン戦シリア戦は非常に苦しみました。

第3戦のサウジ戦では、本田圭・松井の両選手が負傷欠場し、危機感が走ったことでチームがピリッと引き締まりました。

相手のモチベーションが低かったこともありましたが、この大会はじめて結果も内容も伴った最高のゲームができました。

しかし中東の強豪サウジに5-0と大勝して再びチームにだら~んとした楽勝ムードがただよったのでしょうか、準々決勝のカタール戦はまたしても苦しい試合となりました。

香川選手の大活躍もあって、1人少ない状況から2点奪って大逆転というドラマティックな試合となりましたが、ゲルマン魂ならぬ大和魂というのでしょうか、最後まであきらめずに勝利をつかみとったことは選手を大きく成長させました。

準決勝の相手は韓国でしたが、相手が相手ですからさすがに楽勝ムードは完全に消えていました。

ところがチームが必要以上に引き締まりすぎて、昨年秋にソウルで互角以上の戦いをしたにもかかわらず、日本の各選手は韓国代表をリスペクトしすぎていて硬くなっていたように思います。

そのため全力を出し切れず相手のペースにはまり、自分からゲームを難しくしてしまったように思いますが、「またやられるんじゃないか」という弱気に打ち勝って韓国をPK戦の末に下したことは、選手たちをさらに大きく成長させました。

決勝のオーストラリア戦は、激闘だった準決勝の影響が色濃く、日本の各選手は疲労しきっているのがありありとうかがえました。

「決勝だから大事にいきたい」という気持ちが強すぎてシュートやパス・クロスに思い切りが欠け、なかなか試合を決定づけるゴールがあげられませんでしたが、南アフリカでの経験を生かしてGK川島選手を中心に守備で良く我慢し、最後の最後で李選手の決勝ゴールにつなげることができました。

若い選手が多いチームにはありがちなんでしょうが、今回召集された日本代表はやや精神的に不安定なところがあって、それによって試合の結果や内容が左右される傾向が強かったように思います。

ヨルダン戦後、長谷部キャプテンから若手選手たちに対して「君たちはチームのお客さんではない」とカツが入ったと報じられていましたが、アジアカップで経験を積んだことで「格下」をナメない・「強豪」をリスペクトしすぎない、1試合1試合全力を尽くすことだけを考えるということの重要性を良く学んだでしょうから、来るべきブラジルW杯アジア予選ではもっと安定したゲーム運びと結果が出せるように望みます。

 続いて、大会を通じて日本代表の具体的なプレー内容はどうだったのかを振り返ります。
 
まず攻撃ですが、「アジアのFCバルセロナ」は褒めすぎにしても、ショートパスから相手の中盤を崩す能力やアタッキングサードに入ってからのチャンスメークにおけるアイデアの豊富さは、アジアナンバーワンだったと思います。

このまま継続していってもっと精度を高めていけば、世界と戦う上で日本の強力な武器になるでしょう。


この大会において日本の最大の得点源は、左サイドからダイレクトでクロスがあがり、それをゴール前に走りこんだ選手が決めるという形でした。

サウジ戦での岡崎選手の2点目や前田選手の1点目がそうでしたし、ゴールこそ決まらなかったものの、韓国戦やオーストラリア戦で岡崎選手がこの形からヘディングシュートして決定機をつくっています。

サイドから入ってくるクロスの質も良くなったんですが、南アフリカW杯の時と比べて日本の選手がゴール前で相手のマークを外す動きがかなりレベルアップしたことも見逃せないところです。

前田選手が相手DFを引っ張って岡崎選手が空いたスペースに飛びこんでヘッドするといった、連携プレーもかなり進歩しています。

たぶんザッケローニ監督の指導が良いのでしょう。

決勝戦の李選手のゴールシーンもそうなんですが、長友選手が直前にいたウィルクシャーを抜ききらないうちにダイレクトでクロスをあげ、オーストラリアの選手がゴールラインに向けて走らざるを得ない状況をつくったことで李選手が相手DFのマークを外しやすくなり、あの決勝ゴールへとつながったわけですね。

またバイタルエリアでグラウンダーのパスを受けた香川選手が高速ターンしながら相手の最終ラインを突破、そのままゴールという形も良かったです。

準決勝の途中で負傷退場したのが本当に残念でしたが、カタール戦の同点ゴールは見事でしたし、勝ち越し点も7割がた香川選手のゴールだったかもしれません。

 逆に守備は不安定でした。

若い選手がDFラインに入ったせいか、カタール入りする前にザッケローニ監督が3-4-3の練習をやっていたせいかはわかりませんが、コンパクトな守備ブロックをつくるということをすっかり忘れ、日本の陣形がタテにもヨコにも間延びしていたことが最大の原因だったと思います。

ヨルダン戦・シリア戦とカタール戦がそれに該当しますが、これらのチームは日本より「格下」なので、あえてコンパクトな守備ブロックをつくらなかったという可能性もあります。

しかしこの3試合で日本の守備が不安定だったのは明らかで、失敗の許されないW杯予選では特にそうですが、相手がどこであろうと馬鹿にせずコンパクトな守備ブロックを保ち続け、最終ラインを高めに置くか低くくするかで攻撃的か・守備的かを調節したほうが良いと思います。

逆に準決勝・決勝とコンパクトな陣形が徐々につくれるようになっていって、守備が安定していきました。

他に気になった点は、GKと最終ライン付近にいる味方のフィールドプレーヤーとの連携の悪さですね。

攻撃でパスをつなごうという意識が強いせいか、最終ラインでもリスクの高い細かいパス回しにこだわって、シリア戦の川島選手退場とPKによる失点、カタール戦の吉田選手の退場と続くセットプレーからの失点につながっています。

ピッチのどこでボールを持っているかでどれくらいリスクをかけて良いかは変わってきます。

優先順位
(クリックで拡大)

シリア戦やカタール戦の失敗を教訓に、多くの事を学びとって欲しいと思います。

 まとめますと、攻撃面は南アフリカW杯より良くなったものの、守備面は不安定さが目立ちました。

トータルでは、昨年のアルゼンチンや韓国とのテストマッチのころに比べると、ちょっとレベルダウンしたように感じます。

W杯アジア予選の開始までまだ時間がありますから、その時までには守備からビルドアップしてチームをより安定した状態に持っていって欲しいと希望します。

攻撃面はかなり良くなっていますから、これで守備がガッチリ安定してくれば、日本代表はアジアでは頭一つ抜け出た相当強いチームになるでしょう。

次回へつづきます




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