■2006年07月

■オシム監督が川淵会長をたしなめる

日本代表のオシム新監督は、日本サッカー協会会長の川淵氏と対談し、「意味のない試合はやらない」として、代表の親善マッチを削減してでも合宿に時間をとり、”オシム・サッカー”を代表選手たちに着実に浸透させる方針を表明しました。

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 以前にも述べましたが、管理人スパルタクはW杯ドイツ大会前の代表強化スケジュールに大変不満でした。

海外組と国内組がすべて顔をそろえて合宿がはれたのはW杯の本番直前で、海外組と国内組がそろったテストマッチも、やはりW杯直前のドイツ戦とマルタ戦のたった二試合だけ。
 
ジーコが4年間、自由放任主義でやってきたので、どう考えてもチーム内の意志統一や戦術の共通理解を深める時間が足りないと思ったからです。

そこでJリーグの日程を動かし、例年5月に国内で行われているキリンカップを海外組が参加しやすいように欧州でやって、5月欧州合宿→欧州でテストマッチ数試合、その後いったん解散→W杯直前合宿→最終調整マッチ→W杯ドイツ大会本番という流れを提案したのですが、そうはなりませんでした。

協会にとって国内でやる親善マッチはドル箱という事情があるのでしょうが、(確か一試合で一億もうかるとか。本当かどうか知りませんが)キリンカップは国内開催で、海外組がそろわない状態で試合をやって、ブルガリアやスコットランドの1.5軍相手に一分一敗。果たして意味のある試合だったのでしょうか?

J1も五月のはじめまでやっていましたし、日本サッカー界が一致団結してW杯ドイツ大会に挑む代表をバックアップしていたとは、言えない状況でした。

ジーコ前監督の強化方針が日本代表にとって不適切だったことに加え、協会やJリーグ機構を含めた日本サッカー界全体がドイツW杯をナメていたのではないでしょうか。

「いや、普段のJリーグの方が大切だ」という方もいらっしゃるでしょうが、私は4年に1度のW杯の時くらい、Jリーグの日程を臨機応変にずらして、日本サッカー界全体がW杯に向けて総力を結集するような要領のよさ(つまりマリーシア)が必要だと思います。

バカ正直に毎年同じような日程を組む必要はないでしょう。

JリーグとW杯は全然関係ない存在ではなくて、Jリーグの繁栄が日本代表を強化し、日本代表のW杯での成功がJリーグの繁栄にフィードバックされるわけですから。

それに残念ながら現在のところJリーグは、セリエAやリーガエスパニョーラのような世界最高峰リーグとは言えません。 

Jリーグだけに日本代表の強化を頼るのは自ずから限界があると思いますし、なるべく多くの日本人選手をレベルの高い欧州リーグに輸出する必要があります。そのためにはW杯での結果が必要なのです。

川淵会長はご自分がつくったJリーグに所属する国内組の力を過信しすぎていたようですが。

 オシム監督の発言を聞く限り、選手に投げっぱなしの自由放任ということは無いのでしょうし、クラブチームと違って代表は、練習や合宿によってチーム内の意志統一や戦術の共通理解を深める時間が圧倒的に足りないということを十二分に理解なさっているようです。

ですからジーコ時代のようなことにはならないとは思いますが、協会もJリーグ機構もカネ儲け最優先・利権最優先のスケジュールを組むようなことが無いようにしてもらいたいものです。

 また、オシム監督は川淵会長に「W杯でオーストラリアに負けた時『ショック』という言葉を会長が使うべきではなかった」と言ったそうです。

私も激しく同意です。

川淵会長は自分の感情がコントロールできず、頭に浮かんだことをすぐ口にしたり、ショックなことがあるとすぐに泣いたりするのですが、そういったことは組織のトップとして最悪の行いです。

組織のトップは、すぐに「ショックだ」とか言ったり泣いたりして動揺をあらわにし、部下に不安を与えてはなりません。

こんなことは”帝王学”の初歩の初歩でしょう。

しかし、サッカー協会内部では川淵会長のイエスマンばかりなのでしょうから、会長をたしなめられるのがオシム監督ぐらいしかいないというのが、全く情けないですね。

 最後に横浜Mの中澤選手が代表からの引退を示唆しましたが、本当に驚きです。 彼がいなくなると、代表のディフェンス能力が大幅に低下しそうです。

どういったことが代表引退の理由なのかわかりませんが、オシムジャパン発足で、代表内部の雰囲気もがらっと変わるでしょうし、中澤選手が、もしこれまでの代表チームに失望したのなら、是非もう一度考え直してほしいです。

まだまだ、代表チームに中澤選手の力が必要だと思います。




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関連記事・川淵三郎会長の罪と罰(その3)

  

■中田英寿ラストメッセージを見て(その2)

 オシム氏の日本代表監督就任が正式に決定されるというニュースがあったので中断してしまいましたが、前回の続きです。

番組中のヒデの発言で、管理人スパルタクとやや意見が違ったのは、日本代表のDFラインを高く保つべきかどうかでした。

この問題は、W杯直前にマスコミでも報じられましたが、DFラインを低くして失点を防ぎたい守備陣と、「それでは攻めるとき相手ゴールが遠くなる」と言う攻撃陣との間で、意見の対立があったということでした。

ヒデは「DFラインを高く保てというのは、攻撃うんぬんというよりも、失点を防ぐためだ。 DFラインを下げれば敵選手を味方ゴールに近づけてしまい、一発のヘディングでやられてしまう。 だからDFラインを高く保って相手を味方ゴールから遠ざければ、それだけ危険が減る」と番組で主張していました。

「DFラインを高く保ってほしいのは、攻撃ではなく守備のため」というのは、私には初耳でした。

これに対してDFリーダーの宮本選手は、「重要なのはチームをコンパクトにすることで、場合によってはDFラインを低くするのはやむをえない」という考えでした。

私はどちらかというと、宮本選手の考え方に近いです。

ヒデの主張は間違いではありませんし、DFラインを高く上げると確かにヘディングシュート一発でやられることはないでしょうが、そのかわりDFラインの後ろに広いスペースが空きます。

こうなると、日本のDFラインの後ろのスペースにロングボールを落として、敵FWがオフサイドぎりぎりでウラへ抜け出したり、日本のDFと競り合った敵FWがヘッドでウラのスペースへボールを落とし、敵の二列目がオフサイドぎりぎりでウラへ抜け出すようなプレーがやりやすくなり、そうしたパターンからの失点の可能性が高まります。

ですから、DFラインを高くしても低くしても長所・短所があるのでDF陣が守りやすいほうを選び、そのどちらを選んだとしてもチームがDFラインからFWまでコンパクトさを保っていれば、さほど問題はないと思います。

 もちろん、ヒデの言うようにDFラインを高めに保つというのもアリですが、DFラインを高く保つか低くするかで選手同士がもめるのであれば、もっと早くにジーコが手を打つべきだったのです。

選手同士がもめて意見が二つに割れたら、どちらの道を選ぶか監督が決断すればW杯の直前になって、こんなゴタゴタはなかったでしょう。

ジーコジャパンがスタートした4年前に、負けても痛くもかゆくもないテストマッチをする機会は何度でもあったのですから、たとえばジーコが「しばらくは失点しても良いから、怖がらずにDFラインを高めに保とう。 テストマッチを繰り返すうちに高めのDFラインで失点を防ぐことに慣れてくれ。 もし高いDFラインで失点を防ぐことが不可能なことがわかったら、最終ラインの高さはDF陣の判断に任せる」と指示しておけば良かったのです。

にもかかわらずジーコが4年もの間、この問題をほったらかしにしたことが、日本代表の傷口を広げ、致命傷としてしまった感じがします。

 またヒデはオーストラリア戦の後半34分、FWの柳沢選手に代えてMFの小野選手を入れるという采配が、勝敗の大きな分かれ目だったと言っていましたが、私もあの采配には疑問でした。

日本は元気なFWを入れてオーストラリアにトドメをさしにいかなければならなかったのに、あの交代によって選手が混乱した、意思統一できなかったともヒデは言っていました。

ヒデの指摘を聞いていて、私は97年のフランスW杯予選・日本対韓国(国立)を思い出していました。

あの時、山口選手の美しいループシュートで先制し、試合終了まで20分以上ある段階で、当時の加茂監督はFWのロペス選手を下げ、DFの秋田選手を守備固めとして入れました。

しかしこれで選手たちの気持ちが守りに入って消極的になってしまい、先制点以降日本が押し気味だった試合の流れが、日本のFWが一枚減ったこともあって韓国へと向かい、韓国に押し込まれる展開となってしまいました。

そしてCKを与えてそこから同点ゴールを浴び、負けたわけではないのにガックリきた日本は、ロペスがいなくなってフリーで上がってきたCBのチェ・ソンヨンに逆転ゴールを決められました。

まるでW杯のオーストラリア戦は、あのときの日韓戦のリプレーのような展開でした。

一点リードの段階で守りに入った監督の弱気がピッチ上の選手に伝わり、選手たちも守りに入って消極的になってしまう。

一点を守ろうとすることだけが目標になるから、同点ゴールを浴びるとガックリして点を取り返そうという気力もなくなり、ガックリしたまま逆転ゴールを許してしまう。

現在の日本代表には、一点を守りきって勝つというサッカーは向いていないのかもしれません。

その意味で、加茂周氏が犯した過ちをジーコが再び繰り返してしまったと言えるのではないでしょうか。

 ヒデは「100%自分で満足できるパフォーマンスが出来なくなったり、ファンの期待に応えられなくなったら、自分としてはプロとして終わりだと思っている」と言っていました。

もう引退するという彼の決心は変わらないのでしょうし、私からも何も言うべきではないのでしょうが、やはり残念です。

ヒデは、年齢的・肉体的にはピークを過ぎていますし、ケガをあちこちにかかえているのかもしれません。

ですが、ポジショニング能力の質を高めれば、そうしたハンデをカバーしつつ、まだまだサッカー選手としてのレベルを上げていかれると思います。

日本人で世界最高峰レベルに一番近くて、手の届きそうな選手のひとりであるヒデが、世界最高峰レベルのサッカーを知らないまま引退してしまうのが残念でなりません。

それでは、ヒデの新しい人生が成功と幸福に満ちたものであるよう祈っています。



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■オシムジャパンいよいよスタート!!

 きのう、オシム氏の日本代表監督就任会見が開かれ、正式にオシムジャパンがスタートしました。

日本代表監督  イビチャ・オシム(65)

コーチ     大熊  清 (42)
        反町 康治 (42) U21代表監督兼任

GKコーチ    加藤 好男 (48)

フィジカル   里内  猛 (49)
コーチ

会見でオシム新監督は、日本人のよさを 1.敏しょう性 2.いい意味でのアグレッシブさ 3.個人の技術 4.スピードと分析。

「誰かをマネしない方がいい。現在の代表を日本化させることが必要。初心に帰ることで、日本が本来持っている力やクオリティーを出せると思う」と発言し、日本独自のスタイルで代表強化をはかる方針を表明しました。

 管理人スパルタクは、日本の長所を 1.個人の技術 2.組織をつくる上での協調性 だと思っています。
逆に短所は、1.消極的なこと 2.フィジカルが弱い の二点だと思います。

こうした日本人の長所・短所を的確に把握しながら、個人の能力と一つのチームとしての組織力の両方を、地に足をつけて着実にアップさせてほしいです。 
ともかく個人技にしても組織戦術にしても基礎を大事にしてほしいです。 オシム監督ならきっと出来るでしょう。

間違っても、良いイメージだけが先行してチーム力のアップには大して効果がない「個人の自由」といった耳に心地よい言葉におどらされて、自分たちを見失うようなことはないと思います。

 また、「古い井戸にまだ水は残っている」と発言し、しばらくはジーコジャパンの召集メンバーをもとに、代表チームを組むことも表明しました。

これには私も賛成です。

中村・小野・高原・稲本といった黄金世代の次を担う選手の育成が急務になっていますが、だからといって現時点で日本代表を若手にそっくり入れ替えると、黄金世代が蓄積してきたワールドユース準優勝・五輪ベスト8・2002W杯ベスト16といったすばらしい経験から学んできたことがパーになってしまいます。

ときどきW杯や大陸選手権で惨敗した代表チームが、4年後をめざしてそれまでのベテランや中堅をそっくりチームから外して、全員若手と入れ替えてしまう国がありますが、あまりうまくいっていないような気がします。 (たとえばUAE代表)

ですから、黄金世代をベースにチームをつくり若手と競争させ、同じチームで練習や試合をするうちに、黄金世代の経験が徐々に若手に受け継がれ、4年後には若手がチームの主軸となってベテランとなった黄金世代の選手が要所をしめるといった形が理想かと思います。

 あとは、もう「個人の自由」とか言って組織力を敵視し、個人技だのみの戦術しかないサッカーをする監督は二度と呼ばないことが重要ですね。

W杯ドイツ大会などをよく研究して世界のサッカースタイル・戦術のトレンドを見極めつつ、個の能力も組織力も両方高められる監督を一貫して使いつづけるべきです。

組織力アップによってフィジカルの弱さをカバーしつつ、体格が劣っていてもフィジカル争いに負けない選手をつくる必要があるでしょう。

世界一のセンターバックであるイタリア代表のカンナバロみたいに、G大阪の宮本とほぼ同じ身長・体重でもフィジカルや一対一で世界に通用する強い選手はいるわけですから、フィジカル強化は不可能だとあきらめる必要はないはずです。 

 最後に一番重要なのはメンタル面での最大の弱点である消極性の解消です。

日本人選手の消極性の代表例は、失敗をおそれてシュートをなかなか打たないことや、味方のボール保持者をサポートしたり危険な敵をマークすることをせず、ボーっと試合を見てしまうことです。

これを解消しないことには世界で勝てないでしょう。

 これまでの4年間、前任者が自由放任主義を貫いてきたので、さまざまな負の遺産をかかえ困難な状況からオシムジャパンはスタートしますが、代表サポが久しぶりにワクワクできるようなサッカーを見せてほしいと思います。




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■中田英寿ラストメッセージを見て

 中田英寿選手(いや元選手と呼ぶべきでしょうか。どう呼んだらよいか難しいので以後は”ヒデ”で統一します)が引退するにあたっての心境を語った番組 ”ラストメッセージ”が先週放送されました。

ここのところ忙しかった管理人スパルタクはようやく録画しておいたその番組を見ることができましたので、その番組を見て考えたことを書いてみようと思います。

 まず印象に残ったのが、「トルシエのようにオーダー(命令・注文)を出すタイプの監督のほうが現在の日本代表には合っている」というヒデの言葉でした。

私も強くそう思います。つまりジーコは日本代表の監督としては早すぎたということです。

たぶんジーコは、技術・フィジカル・戦術眼・精神力といった個人能力がほぼ完成された選手を集めて、そうした個性がぶつかり合わないよう調整しながらチームを一つにまとめていくタイプの監督なんだと思います。

しかし日本代表のように、個人能力が基礎の段階でも完璧とは言えない選手の集まった、発展途上のチームを育てるのには向いていなかった。

ジーコが思っていたほど、日本代表の選手たちは
大人でもないし、完成されてもいませんでした。

やはり、選手たちが自分で正解を導き出せなかったときに、ヒントを与えたりお手本を見せたりして正解へと導き、個の能力とチームとしての組織力の双方を、基礎をおさえながら着実にアップさせられるタイプの監督が現在の日本代表には合っていると思います。

そして世界では劣勢にあるフィジカル能力をカバーするために高い組織力を日本代表に授ける必要がありました。

 ですが、ジーコがそういったタイプじゃなくて、「自由にやらせるから選手が個人個人で考えなさい」と言ってチームをつきはなしたので、日本代表に監督がいないような状態になってしまいました。

そしてチームが必要としている監督としての仕事をジーコの代わりにやろうとしていたのがヒデだったように思います。 それはあの番組を見て何度も感じました。

ところが、選手のひとりにすぎないヒデが監督のようにふるまうと、ジーコの自由放任主義をいいことにして、ぬるい仲良しクラブ状態だった他の選手たちとの摩擦が必然的に生まれてしまいます。

番組で、オーストラリア戦で逆転負けを喫して後がなくなったクロアチア戦前の紅白戦で、危機感があるのかないのかわからないような、ダラーっとした練習風景が映し出されていたのを見て、私はショックを受けました。

番組でヒデが「練習で厳しさをもてないチームだった」と指摘したように、私もジーコジャパン発足以来、このチームは練習でも試合でもダラーっとして緊張感に欠けるところがあると何度も感じてきましたが、それがあのせっぱつまった状況でも直らなかったからです。

そして、それを見たジーコがこの4年間で初めて激怒したという事実には更にショックを受けました。 これはジーコが自分のチームのコントロールを完全に失っていたことを意味します。

「選手たちが自分で考えて答えを出せればチームの成長はケタ違いになる」というジーコの考えの元に導入された4年間に及ぶ自由放任主義は、単にプロ精神に欠けた一部の代表選手を甘やかしただけで終わったように思います。

これでは100%自分たちの実力を発揮して、厳しいW杯の戦場で勝ちぬいていけるわけがありません。

監督が選手にナメられずに自らの本当の怒りを伝えられるのは人事をおいて他にありません。

本来なら監督が選手から嫌われても良いから、プロ精神の欠けた選手にカミナリを落とし、選手同士をどんどん競わせて実力のない選手は代表から外すといった、厳しさと緊張感が必要だったのです。

その厳しさがジーコには無かったために、日本代表がぬるま湯体質になってしまったのでした。

このように、本来なら監督がやらなければいけないチームマネジメントの仕事をジーコが意図的にやらなかったために、代わりにヒデが嫌われ役を引き受けなければならなかったことが、悲劇のはじまりだったと思います。

ジーコの人間性の良さを誉める人は本当に多いのですが、組織のトップは”良い人”というだけでは務まらないのもまた事実です。

たとえ選手に嫌われてもチームに厳しさと規律を与え、選手とチームの潜在能力を100%以上引き出せる人物こそ、今の日本代表監督にふさわしいのだと強く思います。

ヒデが、ドイツW杯に臨んだ今回の日本代表チームを「100%自分の力を出すやり方がわからないチーム」と評し、「日本代表がドイツで力を出し切れずに終わったことが非常に悔しい」と言ったことに強く共感しました。

私もずっと日本代表には厳しいことを言ってきましたが、川淵会長が言ったように選手の能力が足りなかったということだけが、ドイツでの敗因だとは思いません。

日本はクロアチアと引き分け、クロアチアはオーストラリアと引き分けています。 ですから日本・オーストラリア・クロアチアの三カ国同士の対戦は、勝ち・引き分け・負けのどの可能性もあったと思います。

ブラジル戦での負けは仕方ないとしても、日本・オーストラリア・クロアチアの三カ国が、残りの二チームとの試合を二勝で乗り切るか二敗で敗退するかは、監督の力量の差です。

監督がチームの実力をW杯の本番で100%引き出せたか引き出せなかったのかが勝負の分かれ目でした。

それにジーコとクラニチャルは失敗し、ヒディンクは成功した。
そのジーコを代表監督に据えたのは川淵会長だった。

ただ、それだけのことです。

つづく



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■川淵三郎会長の罪と罰(最終回)

前回の続き

 ここまで読んでくださった方の中には、「川淵三郎会長はJリーグをつくり、日本サッカーを発展させた功労者なのだから、今回のことは大目にみてあげたらどうか」と考える人もおられるのではないでしょうか。

確かに、川淵会長はJリーグチェアマンとして日本にプロサッカーリーグを導入し、現在の日本サッカー界発展の基礎をつくった一人です。

それ以前の日本代表は、アジアサッカー界の二大勢力であったイランやサウジなどの中東勢、韓国・中国などの東アジア勢にほとんど歯が立ちませんでした。 決して世界でもレベルが高いとは言えないアジア内でさえ一流とは言えない、タイや香港に平気で負けることもありました。

そんな時代もあった日本のサッカーが、90年代はじめのプロ化によって急激に進歩し、あっというまにアジアトップレベルの国々の仲間入りを果たし、今ではある程度まで世界で戦えるようになりました。

よって、私は川淵会長にそのことを大変感謝しています。

また、それまで企業の福利厚生活動の一環だった実業団チームを、地域密着型のクラブチームに進化させるという、川淵会長が中心となってかかげたJリーグの理念にも、私は強く共感しました。

 こうした日本サッカー界の大革命が可能になったのは、みんなの意見を足して参加者数で割るような、決定までに時間がかかって誰に責任があるかもはっきりせず、しかも誰も十分に満足しないような日本特有の意思決定方式ではなくて、

組織のトップである川淵会長がスピーディーにどんどん決断していく、トップダウンによる意思決定方式であったからこそ、実現したのだと思います。

川淵会長はトップダウンによる意思決定方式を好んでいると、ご自分でもおっしゃっていましたが、私も決断までに時間がかかって思い切った策がなかなか取れない日本式の意思決定方法ではなく、組織のトップがスピーディーかつ大胆にどんどん決断していく、トップダウンによる意思決定方式を支持します。

 しかし、トップダウン方式にも欠点があります。

それは、決断を下したトップが判断を誤った結果、何らかの失敗をして組織に損害を与えた場合、判断を誤ったトップが失敗の責任をとって辞任しなければ、再び同じような判断の誤りを犯して、組織に損害を与えかねないという欠点です。

トップダウンという意思決定方式は、トップの判断に基づく指示に、部下は従わなくてはならないシステムですから、トップが間違った判断に基づいて、適切ではない命令を出しつづけても、部下の誰もそれを修正できません。

たとえ部下から「あなたの命令は間違っています。その結果として組織に重大な損害を与えています」と指摘したとしても、トップが「自分のやったことは間違っていない。よって自分が辞める必要は無い」と言い張れば、以前自分が出した命令が間違っていないことを証明するために、再び同じ命令を出しつづけることになりかねませんし、「自分は組織のトップを辞める」という決断を下さない限り、その人はトップの地位にしがみつづけることができます。

こうなると部下の方も、トップが喜びそうなことばかりを言うようになり、トップがますます間違った判断をするようになります。

わかりやすい例を出せば、ある国のサッカー協会会長が代表選手たちに「足腰をきたえるために、試合前に必ずウサギ跳びを千回やれ」という命令をトップダウンで出したとします。

その結果、代表選手のほとんどがヒザを痛めて引退を余儀なくされてしまい、
副会長から「会長の『ウサギ跳び千回やれ』という命令のせいで代表選手がみんなケガをしてしまった。責任をとって辞任してください」と非難を受けたとします。

こうした場合、会長が自分の過ちを認めて辞任すれば良いですがそうでなく「選手がケガをしたのは、選手個人の体調管理が悪いからだ。よって私のウサギ跳びの命令のせいではない。」と言い張ったら、自分の命令が正しかったことを証明するために「試合前にウサギ跳び千回をやれ」という命令を撤回することは、ますますできなくなります。

もし命令を撤回すれば会長が悪かったことを自分で認めることになりますから。

そして会長はトップの座を失いたくないために、自分を批判した副会長をクビにするという命令を出してしまうと、この会長がトップの座にしがみつづける限り「ウサギ跳び千回」という間違った命令が出し続けられ、その後も続々と代表選手たちがヒザを痛めることになるという最悪の状況が続くことになります。

しかもクビになりたくないために会長を恐れる部下たちも「やっぱりウサギ跳び千回は、代表選手の強化に役立っていますね」と心にも思っていないことを言うようになり、会長も「そうだろう、そうだろう」と言って、「次回からは二千回にウサギ跳びを増やそうか?」と得意になって提案してしまう。

こうなると、その組織は自浄能力を失って破滅します。 この国のサッカー代表は果てしなく弱くなりつづけるでしょう。

トップが自分の過ちを認め辞任しないかぎり、その組織は失敗を繰り返す可能性が高いと言ったわけは、こういうことです。

最近、日本サッカー協会内部で、ジーコジャパンの総括が行われましたが、結論はジーコを評価しないというものでした。

その理由は明らかです。 ジーコを評価すれば失敗だったと結論付けるしかありません。そうなると川淵会長の責任問題が浮上するからです。

日本サッカー協会がジーコの評価と失敗の反省から逃げつづけるかぎり、同じような失敗が繰り返される可能性が高いでしょう。

 もう皆さんおわかりのように、トップダウンで命令を下すという権利が組織のトップに与えられたら、それは失敗したら責任をとって辞めるという義務とセットなのです。

しかし川淵会長は、トップダウンで自分の思い通りに命令を出す権利は手放さないが、失敗したら辞任するという義務は負いたくないという非常に自分勝手な考え方にとりつかれています。 そんなことは許されません。

川淵会長は、組織の先頭に立ってJリーグを生み育てていたころの初心とすぐれた判断力を失って、ただの権力亡者・独裁者に成り下がってしまったのではないでしょうか。 それが残念でなりません。

 現在の川淵会長の言動をみていると、ヒトラーやスターリンのような典型的な独裁者の特徴が見受けられます。

以前お話したように、川淵会長は気に食わない記事を書いたマスコミの記者を平気で攻撃するようですが、歴史上の独裁者たちも自分を批判する者を絶対に許さず、逮捕して牢屋にぶちこんだり、命を奪ったりしました。

W杯前に、FIFAから「誰もさわってはならない」という通達が出ていた純金製のワールドカップが、展示用として日本にやってきましたが、川淵会長は「僕はさわっちゃうよ」と言ってFIFA関係者が渋い顔をするのもお構い無しに、純金のワールドカップにさわっていました。

日本サッカー協会内で、川淵会長の行動を誰も注意できないという現実が、彼のそうした暴走行為の原因でしょう。

 W杯後の帰国記者会見でも、次期代表監督候補として、まだ本格的な交渉も始まっていないオシム氏の名前を川淵会長がポロっとしゃべってしまい、ジェフ千葉から抗議されるという事件もありました。

マスコミでは「わざと言ったのだろう」という意見もありましたが、私は当初は名前は伏せるつもりだったのに本当に思いがけなくペロっとしゃべってしまったのだと思っています。

人間というものは、自分より地位が上だったりコワイ人・苦手な人がいれば、何をしゃべるか気を使って考えながらしゃべるものですが、独裁者同然の川淵会長には、そういった人がいません。

ですから、川淵会長はサッカー協会内で「言いたい事は全て言う」ということを普段やっているために、記者会見のあの場で、本当はしゃべってはいけないオシム氏の名を口にしてしまったのではないでしょうか。

以上のことを考えると、私はたとえ川淵会長がJリーグ創設の功労者の一人であっても、代表監督の人選で致命的失敗を犯したことを、笑って済ますわけにはいきません。

彼がJリーグ創設の功労者であったとしても、それで代表監督選びで失敗したという事実が消えてなくなるわけではないのです。

これはジーコが鹿島を日本の強豪クラブにした功労者だからといって、日本代表監督として良い結果を残せなかったという事実が消えてなくなるわけではないのと全く同じです。

関連記事・ジーコ監督の4年間は何だったのか?(最終回)


 代表監督の人選を独断で決めた川淵会長が責任をとって辞任することから逃げ、権力にしがみつづけるかぎり、間違いに間違いを重ねることになると思います。

Jリーグを創設した偉大なリーダーとしての功績がぜんぶ消し飛んでしまうような過ちを犯すかもしれません。

代表監督選びで致命的ミスをおかした川淵会長が晩節を汚すことなく、自らの責任をとっていさぎよくスッパリ辞任されて後輩への良き手本となり、我々をがっかりさせることのないよう、強く強く希望します。




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■川淵三郎会長の罪と罰(その3)

前回の続き

 自らの感情をほとんどコントロールできない人、あるいは感情を理性でコントロールするという訓練を怠ってきた人、というのは川淵会長の言動を見てきて、以前から思ってきたことです。

前回では川淵会長が、自分を批判するマスコミの記者を攻撃するという、プロ失格の行動についてお話しましたが、川淵会長の感情の暴走の例はそれだけではありません。

ドーハの悲劇として有名な93年のアメリカW杯アジア最終予選のイラク戦のあと、アジア予選ベスト11の表彰式があり、FWカズ・DF柱谷・GK松永の三選手が選ばれていたのですが、全員が表彰式をすっぽかすという失態がありました。

当時解説者のセルジオ越後氏が、「負けて倒れて表彰式にも来ないというのはプロのサッカー選手じゃない。アマチュアでなくプロなら涙ぐんでも来なきゃいけない」と言っていたのですが、あとで日本代表選手団長をつとめていた川淵氏が、表彰式があることをわざと選手たちに伝えていなかったことが発覚し、謝罪するという事件がありました。

(サッカーダイジェスト誌 1993年11月24日号)

おそらく予選敗退のショックを受けているであろう選手たちに配慮して、表彰式があることをわざと選手に伝えていなかったのだと思いますが、感情に流されて冷静な判断ができないアマチュアだったのは、カズや柱谷ではなく川淵氏だったというわけです。

 さらに川淵氏は、日本代表の劇的な勝利・敗戦といった緊急事態があると、すぐお泣きになる。

「男だから泣くな」なんていうことを言うつもりはサラサラありませんが、組織のリーダーが緊急事態のたびに泣いて取り乱していたのでは、大事な時に冷静な判断が下せません。

そうしたことが原因でリーダーが緊急時の判断を誤れば、組織に致命的なダメージを与えることになります。

例えどんなことがあっても組織のリーダーというものは感情をコントロールし、冷静な判断力を失ってはいけないのです。

泣いて取り乱したところを部下に見られて、組織内部に不安と動揺を与えるなどもってのほかです。

 川淵会長が、感情の暴走を押さえられず正常な判断力を失ってしまったことの最も良い例がトルシエ元監督への評価です。

川淵会長とトルシエ氏との間に何があったか知りませんが、川淵会長はマスコミに露出して事あるごとに”トルシエ極悪人説”を振りまいていました。

「組織サッカーを目指していたトルシエが、日本代表選手の自由を奪ってがんじがらめにした」という主張です。

私はトルシエのやったことのすべてが正しいとは全く思いませんし、「もう一度トルシエを日本代表監督にどう?」と言われたら「お腹いっぱいなので結構です」と答えますが、少なくとも川淵会長の言う「組織サッカーを目指していたトルシエが、日本代表選手の自由を奪ってがんじがらめにした」という主張は間違っています。

トルシエのサッカー理論は「中盤は手数をかけず組織的にオートマチックにやるが、ゴール前30mからフィニッシュまでは選手個人個人のファンタジー(創造性)がものを言う。 ゴール前での選手のファンタジーは監督が教えられるものではない」というものだったはずです。

時間もスペースも少なくなっている現代サッカーでは、中盤で選手個々が自由に考えていては、相手が守備に戻る時間を与えるだけです。

ですから中盤では時間をかけずにオートマチックに球回しをしてでも、ゴール前30m付近にある相手の最終DFラインをどう崩すのかに時間を使うべきなのです。

ですから、トルシエの言っていることは最新のサッカー戦術の流れからしても間違ってはいないと思います。

 またトルシエはこうも言っていたはずです。「日本人は車が来なくても赤信号では道を渡らない。そうじゃなくて、自分の頭で考えて安全なら赤信号でも道を渡るような個人の判断力を持たなくてはならない」

これは「組織の決め事に個人が100%従う」ということとは正反対です。

やはり「組織サッカーの鬼であるトルシエが、日本代表選手の自由を奪ってがんじがらめにした」といったような議論はウソも良いところではないでしょうか。

第一、川淵会長の「組織サッカーは悪・個の自由は善」といったようなサッカー思想からして、現代のサッカー戦術の常識とは全くはずれています。

サッカーがチームスポーツである以上、選手11人が協力して生み出す力、つまり組織力は絶対に必要です。

W杯の優勝国にしろ、チャンピオンズリーグの優勝チームにしろ、私は世界トップレベルのチームで個人の能力だけでサッカーをやっているチームを見たことがありません。

個の能力を高めるとともに、組織力も向上させるというのが、現代サッカー戦術の方向性です。

個の能力と組織力を反発する水と油のように考えて、「組織サッカーは悪・個の自由は善」であるかのような主張をする川淵会長は、現代サッカーについて全くの勉強不足です。

サッカー協会の会長として致命的欠陥です。

 川淵会長がトルシエに対する個人的な恨みを抱いていて、暴走したその感情が川淵会長の正常な判断力を失わせたのかもしれません。 そして、それがトルシエの後継監督選びにも大きな影響を与えたのかもしれません。

確かに選手を突き飛ばしたりするトルシエのエキセントリックな行動は誉められたものではありませんでしたが、バカンスに行ったトルシエにはかんかんに怒って、リオのカーニバルを見るために帰国したジーコは問題にしない川淵会長のやり方は、トルシエに対する個人的な恨みと見られてもしょうがないでしょう。

さらに言えば、選手を突き飛ばしたり怒鳴ったりするトルシエのエキセントリックな行動は、フランス人と違って消極的で自己表現をなかなかしようとしない日本人をわざと怒らせて、消極的という殻にこもりがちな日本人を変えようとしたのかもしれないと私は考えています。

外国人は意見の違いがあるとはっきりと口に出して積極的に自己表現しますが、消極的な日本人は表面的な”和”を大切にして、意見の違いを口に出して自己表現するようなことを嫌がります。

往々にして、後で本人がいないところで「あいつの意見は間違っている」とカゲ口を言ったりすることになるのですが。

W杯ドイツ大会でも、日本代表選手の非常に消極的なプレーが目立ちましたが、サッカーで一番いけないのは選手の消極性です。

「ど突いてこれだけ怒らせれば、さすがに消極的な日本人でも自己表現するだろう」というトルシエなりの読みだったのではないでしょうか。

もちろんただの八つ当たりの可能性もありますが、世界を相手にしなければならない日本サッカー協会会長の川淵氏に、そうした日本文化とフランス文化の違いを理解する能力、異文化を理解する能力があったのか、大変疑問です。

 自らの感情が暴走をはじめると、自分ではまったくコントロールすることができない川淵会長。 そうしたことが判断の狂いや、気まぐれのような決定を生み出すのです。

その結果、日本代表にはふさわしくないタイプの監督を川淵会長の独断で招聘し、ドイツW杯における日本の惨敗へとつながりました。

自らの感情をほとんどコントロールできない人、あるいは感情を理性でコントロールするという訓練を怠ってきた人は、その裏返しとして論理的思考力・判断力に欠け、組織のトップには最もふさわしくないタイプの人間です。

川淵会長の感情の暴走を押さえられる人が、日本サッカー協会内部にいれば少し話は違ってきますが、そんな人はいないようです。 これについては次回述べることにしましょう。

川淵会長は、やはりおやめになるべきだと思います。

つづく




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■川淵三郎会長の罪と罰(その2)

前回の続き

 川淵会長が独断で決めた代表監督の人選ミスで、4年間の貴重な時間と数億円の強化費をドブに捨て、選手たちにとってはやり直しのきかないドイツW杯を、むざむざ棒に振ることになりました。

当然、川淵会長に対して辞任を求める声が各方面からあがりましたが、川淵会長は「(代表の試合結果で)会長が辞任するような悪い前例をつくりたくない」 「サッカー協会会長の仕事は代表だけではない」と言って、見苦しいことにサッカー協会会長のイスに依然しがみついています。

 確かに代表が一試合負けるごとにサッカー協会会長が辞任していては、何人会長が必要になるかしれません。

しかしW杯は他の親善マッチとはわけが違います。

日本がいくら自分で「日本のサッカーはレベルが高いです。だから日本人選手をセリエAやプレミアリーグのクラブが買ってください」と言っても、それだけでは世界から相手にされません。

ですが、W杯という世界が注目する戦場で日本代表が好成績を残し、自らの能力を証明してみせれば話は全く違います。

”コンバット・プルーブン”つまり実戦で証明してみせることほど、日本のサッカーレベルを世界にアピールする上で説得力のあるものはないのです。

日本代表がW杯で良い成績をあげれば、代表以外の選手を含む日本人選手をイタリアやイングランド・ドイツ・スペインなど欧州の強豪リーグへどんどん売り込むことができますし、そうやってレベルの高いリーグで日本人選手がもまれることで、ひいては日本代表全体のレベルアップにもつながるわけです。

 にもかかわらず、川淵会長は独断でそれまでの欧州スタイルをひっくり返して、80年代の古き良き南米スタイルを目指すようなジーコを日本代表監督に据え、ジーコジャパンはドイツで惨敗を喫しました。

これで世界の日本に対する評価は「サッカーの世界では日本は二流以下」となり、2002年以降ぐっと上がった日本人選手に対する市場価値も下がってしまうかもしれません。

(2002年は自国開催だからあの時の日本の成績はホンモノではないという意見もありますが、それには同意できません。 チャンスがあったら詳しく述べてみたいと思いますが、じゃあ今回のドイツ代表の成績やポドルスキの成長はウソだというのでしょうか?)

このようなことは、川淵会長が言うように単なる3試合の勝ち負けにとどまらず、今後10年20年の日本サッカー界の発展に大きく影響を与えるような大失敗だったのです。

その失敗が川淵会長の独断専行の結果である以上、責任を問われるのはプロとして当然のことです。

 私は、川淵会長はプロ意識が全く欠けていると思います。

これは本人も認めているようですが、マスコミ各社の記者が川淵会長を批判する記事や川淵会長の気に入らない内容の記事を書くと、川淵会長はそのような記者を絶対に許さず、そうした記事を書いた記者をあからさまに攻撃するようです。

全く情けなくて開いた口がふさがらないというやつですが、日本サッカー協会はカネを取ってサッカーを観客に見せ、TV局から高額の放映権料を徴収している”プロ”である以上、自らの仕事に対しての批判は甘んじて受け入れるというのがプロ精神の基本中の基本です。

 別のプロの例えを出せば、レストランのコックはお客からお金を取って料理を食べさせているプロです。

もしレストランのコックが趣味で料理を作って客に無料で食べさせてあげているなら話は別ですが、客が、コックが作った料理つまり”プロとしての仕事”にお金を払った以上、その料理が美味いかマズイかはっきり言う権利はあるわけです。

ある客がコックに「お前の作った料理はマズかった」と言って、コックが客に「うるさい黙れ。お前なんかとっとと帰れ!」とか「つべこべ言うならお前が作ってみろ」と言ったらどうなるでしょうか?

そんなコックはプロとして失格ですし、そんなレストランはまずつぶれます。

川淵会長という人は、「お前の作った料理はマズかった」と客に言われて「うるさい、黙れ!とっとと帰れ!」と言うコックのような、プロ精神が全く欠如している人物なのです。

そんな人が、日本代表をふくむプロサッカー選手を指導する日本サッカー協会の会長としてふさわしいとは全く思えません。


本人が現役のサッカー選手だったころはアマチュアでしたし、日本にもアマチュア・リーグしかありませんでしたが、そんなことは言い訳にならないでしょう。

自分の仕事に責任とプライドを持って、自らの仕事に対する批判は、感情を理性でぐっと押さえて甘んじて受け、仕事で失敗したら潔く責任をとる。

それがホンモノのプロというものです。


しかし「(代表の試合結果で)会長が辞任するような悪い前例をつくりたくない」と川淵会長は主張していますが、プロとして失敗の責任をとろうとしない川淵会長こそ悪しき前例以外のなにものでもありません。 

そうしたプロとして当たり前のことを川淵会長ができないのは、彼が自らの感情をほとんどコントロールできない、あるいは感情を理性でコントロールするという訓練を怠ってきたからではないでしょうか。

日本サッカー協会に限らず、組織のトップとして最も不適当なタイプの人だと思います。

つづく



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■川淵三郎会長の罪と罰

 ジーコジャパンはドイツW杯で惨敗を喫しました。

現実離れした理想主義者で監督経験も少ないジーコは、日本というサッカー発展途上国の監督として適切ではなかった、ミスマッチであったことが、惨敗の大きな原因であったということを3回のシリーズで述べてきました。

それでは、日本代表監督には合わないタイプの指導者・ジーコを監督に据えたのは誰なのでしょうか?

まぎれもなく日本サッカー協会会長川淵三郎氏です。

日本サッカー協会内部でトルシエの後任監督を選定しようとしているとき、「ジーコに聞いてみろ」と川淵会長が部下に指示したことが、関係者の証言で明らかになっています。

そして事実上”無職”の状態だったジーコが日本代表監督を引き受け、とんとん拍子で話がすすんでいきました。 よって、川淵会長の一存でジーコの日本代表監督就任が決定したといって間違いないでしょう。

 それでは川淵会長はなぜジーコが日本代表監督にふさわしいと考えたのでしょうか?

その答えは本人にしかわかりませんが、おおかた「ジーコはかつてスーパースターだったから」といったミーハーな理由で、よく考えもせず軽はずみに決定したのではないでしょうか。

川淵会長は「サポーターみんなが納得する人選だ」とおっしゃっていましたが、少なくとも私はジーコ監督就任当初から大いに疑問でした。

 まずジーコに監督としての経験が全くなかったからです。 ブラジル代表にザガロ監督の補佐役として加わったことがあり、鹿島では総監督のようなポジションについていましたが、人選・チームのマネジメント・采配など実務能力は全くの未知数でした。

これまでジーコがつくりあげてきた鹿島が、アジアチャンピオンズリーグなどの国際大会に決定的に弱いことも私にとっては大きな不安材料でした。

 そして一番の重大問題は、川淵会長が初めから「監督はジーコありき」だったことです。

本来なら、まず日本サッカー協会が日本人の長所短所を分析し、日本人に合っていてしかも世界で通用するサッカーはどんなものかを打ち出し、その目標を実現できる監督を招聘するというのが、スジというものでしょう。

たとえ一人の監督が辞任しても、日本が目標とするサッカースタイルは変わらないということを貫き、監督が変わるとそれまで欧州スタイルだったのをひっくりかえして、一から南米スタイルに組み立てなおすといった愚は避けなければなりません。

しかし川淵会長は、そういった日本サッカー界の長期戦略を策定することなく、いきなりジーコ招聘を決めてしまったわけです。

 そして私の不安は的中してしまいました。

ジーコ就任当初、川淵会長は「経験がなくても日本代表監督には問題ない」と強弁しましたが、2006年W杯における日本代表の戦いが終わった今、この4年間を振り返ると、ジーコの監督としての経験の無さが日本代表を長期にわたって混乱させたことは否めません。

少なくとも日本のような発展途上のチームを強化するノウハウも経験もなかったことは間違いありません。

ジーコはW杯後に日本人選手のフィジカルの弱さを批判しましたが、そんなことはまだ日本がW杯に一度も出たことのなかった90年代はじめには言われていたことです。

自由放任の名のもとにチームをほったらかしにして負けた後に、今さら「フィジカルが弱い」と嘆く人物ではなくて、最初からフィジカルが弱いという日本人選手の特徴をふまえた上で、戦術・組織などでどうカバーするかを考え実行できる監督を呼ぶべきだったのです。

ジーコ前監督は、チーム内のモチベーションの維持能力や選手交代など試合中の采配などでも問題点が山積みでした。

 このため、ジーコジャパンは当初から試合内容が不安定で、これまでの4年間でW杯本番でも戦いぬけるような満足できるパフォーマンスをみせたのは、2005年のコンフェデなどわずか数試合でした。

W杯のアジア一次予選も、第一戦のオマーン戦は、相手からのプレゼントボールで試合終了間際にようやくゴールをあげて勝ち、アウェーのシンガポール戦ではあやうく引き分けそうになる始末。

ジーコの「アジアだってレベルアップしている」という言い訳が空しく聞こえました。 そのレベルアップしたアジアがW杯ドイツ大会ではグループリーグで全滅ですから。

この時、ジーコ解任を求める声が高まりましたが、川淵会長はジーコをかばい続けました。

その時のことをNHK教育の”知るを楽しむ”という番組で語っていますが、川淵会長によると「内容なんかどうだっていい、勝ちゃいいんだ、勝ちゃ!」でジーコ続投を決意したそうです。

もうヤケクソとしか思えません。

本来日本サッカー協会が、どういうものが日本人の特性に合っていて世界で通用するサッカーなのか、長期戦略を立てて日本代表を強化し、テストマッチの内容をみながらその戦略がどの程度実現できたか逐一チェックするその先に、日本代表の世界における本当の勝利があるわけですが、

川淵会長はこういった論理的プロセスを一切すっとばして、「勝てばいいんだ」でジーコジャパンの試合内容の悪さ・自らの長期戦略の無さを正当化したのです。

ということは、ジーコが代表監督としてふさわしい理由と、ジーコを監督につれてきた川淵会長の正当性は、ジーコが勝つこと以外に無くなります。

 ジーコジャパンはふらふらしながらも一次予選を突破、二次予選に臨みますが北朝鮮・バーレーンとホームでヒヤヒヤの勝利を繰り返し、なんとか1位通過を決めましたが、試合内容をみるかぎり相変わらずW杯で戦えるようなチームではありませんでした。

ですから私は、ドイツW杯本大会の1年前に「今からでも遅くないからジーコを解任して、本大会までの1年間しっかりとした哲学を持つ監督に代表を任せるべきだ。もし人がいないというのならジェフ千葉のオシム氏はどうだ」と提言したのです。

中田英寿選手も日本がW杯一番乗りを決めた北朝鮮戦後に、「まだ本大会で勝てるチームではない」と警告していました。

しかし「内容なんかどうだっていい、勝ちゃいいんだ、勝ちゃ!」と叫ぶ川淵会長は続投を決めました。

現在、ジーコジャパン惨敗を受けてオシム氏が次期代表監督としてほぼ決まりのような状態になっていますが、1年前にこの決断ができていたのなら、ドイツ大会における日本代表の運命はどうなっていたでしょうか。

そしてW杯まで残された最後の1年間も日本代表はフラフラ不安定な飛行を続けていました。

 そうした現状に不安を抱いたのかW杯の直前に川淵会長があちこちのマスコミに露出して、あたかもジーコジャパンがW杯で負けたときに備えて予防線を張るような発言を繰り返していたのが目につきました。

前述したNHK教育の番組”知るを楽しむ”でも、「トルシエの”がんじがらめの組織サッカー”に慣らされていた選手たちは、ジーコの”自由なサッカー”がなかなか理解できなくて、今まで結果が出なかった」と、日本代表の現在までの不安定な戦いぶりの責任は、”川淵会長が連れてきた優秀な監督・ジーコ”ではなくて、”能力の低い選手たち”にあるという主張を盛んにしていました。

さらに「”個の自由”をかかげるジーコは素晴らしい監督だ。次期監督もジーコ路線で行く」とまで言ったのです。

 こうしてW杯の本番に臨んだジーコジャパンでしたが、試合結果も内容も惨敗。

ジーコが日本代表監督としてふさわしい理由として川淵会長があげた「勝ちゃいいんだ、勝ちゃ!」という最後の砦(とりで)さえ、あっけなく崩壊したのです。

日本の敗退が決まった後、「勝ちゃいいんだ、勝ちゃ!」と言っていた川淵会長はジーコと一緒になって「フィジカルの弱い選手が悪い。それが敗因」と敗戦の責任を選手たちにおっかぶせました。

W杯前にはった予防線のとおりです。 私はあきれ果ててモノが言えなくなりました。

しかもジーコの後任としてオシム氏を招聘することを川淵会長がすぐさま決めたのですが、ドイツで「後任監督をどうしようか」と川淵会長が言ったのを聞いたベッケンバウアー氏から「日本にはオシム氏がいるだろう」と言われたことが、決断の理由だったという話が伝わっています。

これが本当だとしたらとんでもないことです。

「ジーコはかつてスーパースターだったから」といったミーハーな理由で何の考えもなしに川淵会長はジーコを連れてきたのだろうと先ほど言いましたが、
今度はベッケンバウアーがかつてのスーパースターだったから、何の考えもなしにベッケンバウアーの言ったとおりの人間を代表監督に据えるというのでしょうか。

もちろんオシム氏は1年前に私が推薦したとおり、日本代表監督の候補としてふさわしい指導者の一人です。

しかし、代表監督決定のプロセスにおいて、川淵会長が何の考えもなしに気まぐれで頭に浮かんだ人物を、日本代表の目指すべき方向性と合っているのか充分検討することも無く、刹那(せつな)的に決めてしまうという、ジーコを監督に決めた時の失敗を川淵会長は再び繰り返してしまっているわけです。

もう開いた口がふさがりません。

川淵会長の代表監督の人選ミスで、4年間の貴重な時間と数億円の強化費をドブに捨て、選手たちにとってはやり直しのきかないW杯を、むざむざ棒に振ることになりました。

そしてもう一度4年前の失敗をくりかえす川淵会長。

川淵会長は組織の指導者として致命的な欠陥を抱えています。 ジーコが責任を取ってやめた今、川淵会長も晩節を汚さず、いさぎよく責任をとって辞任すべきだと思います。

つづく



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■中田英寿選手が完全引退を表明!

 中田英寿選手がプロサッカー選手としての完全引退を表明しました。

「2006年ドイツ大会が中田選手にとって最後のW杯になるであろう」とは、以前から言われていたことです。

そのW杯ドイツ大会で最後の試合となったブラジル戦終了後、中田選手は一人だけセンターサークルあたりに倒れこんで、夜空を見上げていました。

彼の目には光るものが...

ゴールを決めても感情を控えめにしか表現しない中田選手が負けた試合の後で泣くなんて、ちょっとショックでした。

それだけ2006年のW杯にかける特別な思いがあったのでしょう。

その光景をボーっと見ながら、管理人スパルタクは「中田選手はドイツで大きな忘れ物をしてしまったね。これで引退はできなくなった」と考えていました。

彼は現在29歳、4年後で33歳ですからまだまだ現役でやれます。

中田選手は、ドイツに忘れてきたものを2010年に南アフリカへ取り戻しに行くのではないか、そう漠然と考えていた矢先、中田選手の引退のニュースを知りました。

それも代表からの引退というだけでなく、プロサッカー選手としての引退。

本当に驚きです。

 たとえ2010年までやれなくとも、今後1~2年は日本代表にとどまって、自らの経験やプロとしての心構えを若い選手に伝えてくれたらとも考えていました。

日本のサッカー選手で中田英寿ほど成功して高い地位に上りつめ、貴重な経験をしてきた人間はいません。 いわば日本サッカー界の貴重な財産です。

その彼が、代表チームをはじめとする日本のサッカー界と関係がぷっつりと切れてしまうのであれば、本当に残念としか言いようがありません。

 彼のホームページで発表された引退表明文でもふれていましたし、関係者からもそうした話がちらほら聞こえてきますが、日本代表では中田選手とその他の選手との間に大きなミゾができていたようです。

私は日本代表内部の人間関係がどうなっていたか知る立場にないので、真実はわかりません。

ただ、ぬるま湯体質で監督にその能力が無いばかりに、規律とモチベーションの維持に失敗していたジーコジャパン内部において、他の選手にプロとしての厳しい要求を出しつづける中田選手が”浮いた”存在になってしまっていたであろうことは、容易に想像できます。

「あいつだけ優等生ぶりやがって」

そんな中田選手へのカゲ口がジーコジャパン内部に満ち満ちていたのではないでしょうか。

ぬるま湯にどっぷりつかった日本代表が、ドイツW杯で1分2敗、最後のブラジル戦は1-4の完敗という残酷な結果をつきつけられて、ようやく自分たちの甘さを思い知らされたわけですが、「このままだと手遅れになる」という中田選手が再三繰り返してきた警告が、現実のものとなってしまった瞬間でもありました。

もちろん中田選手の言動のすべてが正しかったとは思いませんが、プロ意識という点で世界レベルにある数少ない日本人選手ということは言えるでしょう。

もしオシム氏が代表監督になれば、ジーコジャパンのような自由放任の甘ったれた体質・ぬるま湯体質がふっしょくされ、規律と士気が持ち込まれるでしょうし、そうなれば中田選手の高いプロ意識と経験が新たに加入するであろう若い選手にとって必ず必要となります。

ですから、中田選手が代表選手として、プロサッカー選手として完全に引退してしまうのが残念なのです。

 管理人スパルタクは2006年W杯の結果には失望させられました。 

ある程度悪い結果が事前に予測できただけに、ブログでそれを警告する記事をさんざん書いてきただけに、ブラジル戦後に無力感・脱力感がどっと襲ってきて本当に失望させられました。

中田選手も、この数年間本当に疲れ果て、本当に失望したと思います。体もあちこち痛んでいるのかもしれません。

しかし、私は代表を応援するのを止めるつもりはありません。

だから、ドイツで見失ったロストバゲージを南アフリカへ取り戻しに行きませんか?

ヒデ!



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■ジーコ監督の4年間は何だったのか?(最終回)

前回の続き

 これまでの2回の記事で、ジーコ監督が現実離れした行き過ぎた理想主義者であったこと、”年功序列制度”と”縁故採用”を代表選考に持ち込んで、チームのマネジメントに完全に失敗したこと、そもそも監督としての経験がまったく不足していたことを述べてきました。

このシリーズのしめくくりに、代表監督を適切に評価する場合、どうすればよいのかについて考えてみたいと思います。

 監督としてのジーコをどう評価するかという問題に、鹿島での功績をプラスしようとする日本人が少なくありません。

確かに管理人スパルタクも、ジーコが住友金属のデコボコのグラウンドにやってきて、鹿島アントラーズとJリーグを育ててくれたことに大変感謝しています。
まったく足を向けて寝られないというやつです。

しかしそうした事実と代表監督としてのジーコへの評価は、100%関係の無い別の話で、感情に流されて冷静さを失い、関係の無い二つのことがらを一緒にしようとしたり、鹿島での功績を代表監督としてのジーコへの評価にプラスしたりしてはいけません。

日本人のそういう論理的思考力の無さは、日本サッカーを世界に通用するものにしていく過程で、必ず足を引っ張ります。

もし、感情に流されて関係の無い二つのことがらをごちゃ混ぜにするのが許されるのであれば、代表で結果を出せなかったジーコへ悪意を持つ人が、「代表で失敗したのだから、ジーコは鹿島でも何も良いことをしなかった」と言っても、それを許さなくてはならなくなります。

私は就任した当初からジーコ監督の監督としての能力を批判してきました。

こういうことを言うと、”トルシエ信者”とか”ジーコ信者”とかいった話が出てきそうですが、そのどちらでもありません。 

私は”良いサッカーの信者”です。

たとえ相手がかつての名選手であろうとも、日本サッカー界の功労者であっても、それはこの際、関係ありません。

良いサッカーをやっている監督は評価しますし、ダメなら批判する。ただそれだけです。 同じ監督であっても正しい道を歩んでいるときは支持するし、間違った道を歩み出したら当然批判します。

だから、私がジーコを批判したのは別にジーコが嫌いだからではありません。

しかし、「ダメだから批判する」ということと「相手が嫌いだから悪口を言う」ということの区別ができない、論理的思考力の無い極めて感情的な人が日本には少なくないのが大変残念です。

日本のサッカー・ジャーナリストも何か遠慮しているというか、これまで適切にジーコを評価できた人はあまり多くないように見受けられました。

先ほども言いましたが、こうしたことは日本がサッカー強国ではないことの証明でもあり、またサッカー強国になるための妨げにもなるでしょう。

ジーコが今後も監督をやりたいという夢を持っているのなら、監督としてダメなところはダメと言ってあげるほうが、よっぽどジーコ本人のためになると思うのですが...。

 それではジーコ監督の4年間は何だったのか?という今回のシリーズをまとめたいと思います。

ジーコ監督の4年間とは、監督としての経験がほとんど無いジーコが夢見てきた理想を日本代表で実現しようとした、壮大な実験でした。

 私は今から一年と一ヶ月前こう言いました。

UAEに負けたから言うわけではありませんが、2002年W杯が終わってからキリン・カップまでジーコ監督の指揮のもと日本代表はやってきて、そろそろ3年ちかくなると思いますが、相変わらずこのような状態では、W杯ドイツ大会の見通しは暗いです。

ジーコが現役だった当時のW杯82年スペイン大会のブラジル代表は、セレソン史上もっとも美しいチームだった、印象に残るチームだったとよく言われます。

ビデオでしか観た事ありませんが、名将テレ・サンターナに率いられ、ジーコ・ソクラテス・ファルカン・トニーニョ・セレーゾの黄金の中盤(カルテット)を擁したセレソンは確かに美しかった。

しかし、ジーコのブラジル代表はイタリアのロッシのカウンターに沈められ、W杯で優勝するどころか3位にも入る事はありませんでした。

今のジーコを見ていると、「ひょっとしたら80年代のあのブラジルのサッカーを現代の日本代表でやろうとしているのではないか?」と思えてきます。

しかし、当時と現代では、サッカーは大きく変わっています。特に守備戦術の発達は比べ物にならないでしょう。




当該記事 

そして、ジーコジャパンの4年間とは「個の自由に基づく美しいサッカー」というジーコの夢もしくは理想が、もう一度敗れるのを確認するための4年間だったのではないでしょうか。

高度に組織化された現代サッカーにおいて、少なくとも世界トップレベルのサッカーをしているチームが、個の自由だけで成功しているという実例を私は見たことがありません。

個人が基礎能力・高い応用力を持っているのは当たり前で、そうした選手たちが協力していかに高い組織をつくりあげるかというのが現代サッカーの方向性となっています。

チーム組織が個をダメにするというのは、時代錯誤的な考えであって、組織と個の能力は両方大事であり一緒に強化をはかるべきというのが世界のサッカー界の最新の流れです。

そんなことは、W杯なりチャンピオンズリーグなりを見て、最新のサッカー戦術のトレンドをちょっと研究すればすぐわかることでしょう。

 私は同じ記事でこうも言っています。

ともかくジーコジャパンの長期にわたる不振・不安定さは、代表どころかJリーグを含めた日本サッカー界全体の歯車をおかしくしている気がします。

 このさい、ジーコ監督は、アジア予選突破をしてもしなくても北朝鮮戦が終わったところで、解任すべきだと思います。

そうすればW杯ドイツ大会までまだ1年あり、しっかりした哲学をもった監督にまかせれば、まだ立てなおす時間はぎりぎりあります。

監督を変えるには、もはやこのタイミングしかありません。

あらたな監督が見つけられないというのなら、ジェフ・千葉の社長に頭を下げてイビチャ・オシム監督を代表に招くというのはどうでしょうか?

スパルタクがみたかぎり、Jの最優秀監督です。
限られた持ちゴマの能力を最大限に引き出して、ジェフ・千葉を優勝争いできるようなクラブにしたオシムの手腕は卓越しています。

また彼のコメントからは、サッカーを知り尽くした哲学を感じますし、本当に勉強になります。

決断するなら今をおいて他に無いと強く思いますが、いかがでしょうか。



当該記事 

 私は、日本代表の2006年W杯の失敗は十二分に防ぐことができたと思います。

少なくともW杯ドイツ大会の1年前に、白昼夢を見続け地に足のついていない理想主義者・ジーコを解任し、日本代表選手にサッカーの基礎を教えられる適切な人間を監督に据えていれば、何かしらの遺産が日本代表に残ったはずです。

しかし、ジーコは解任されなかった。

今、マスコミやサッカー解説者はジーコが残してくれたものを必死になって探しているようですが、つらい現実から目をそむけるのはやめませんか。

ジーコは「個の自由・自主性」とやらに任せてこの4年間、日本代表にはほとんど何もしてこなかったのです。 そもそも何も残りようがありません。

その結果、「サッカーの基礎が出来ていないと痛い目をみるよ」ということをW杯の本番で日本代表はイヤというほど思い知らされました。

もしかしたら、今さらながらそのことに気づいた事が、ジーコがこの4年間で日本に残してくれたものだったのかもしれませんが、そんなことは、ちょっと考えれば分かる当たり前のことですし、4年間の貴重な歳月とウン億円という強化費を使って知るべき情報ではありませんでした。

 99年のワールドユース準優勝・2000年のシドニー五輪ベスト8・2002年W杯ベスト16と順調に経験を積んできた日本の黄金世代を、ジーコ監督はそっくりトルシエ監督から受け継ぎ、任されました。

しかし、黄金世代が脂の乗り切った成熟期を迎え、日本代表が大きな果実を収穫するときだった2006年W杯ドイツ大会は、他の国が必死になって強化を図っているのに、「日本だけそれまでの4年間何もしてこなかった」という現実から当然の罰を与えられて、無惨な結果となってしまいました。

その責任は、最終的にはジーコを鶴の一声で代表監督にすえた、日本サッカー協会会長・川淵三郎氏にあります。

次回からは、「川淵会長の罪と罰」について考えてみたいと思います。




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