■spartakの人生を変えたチームとの出会い

■バーレーン戦、最悪の結果と内容

 3月26日に行われるW杯三次予選のバーレーン戦は私自身、岡田ジャパンにとって正念場だと思っていました。それはマスコミからバーレーンが予選リーグ最大のライバルと言われていたからではありません。

結果はともかくとしても、東アジア選手権の北朝鮮戦から日本代表の試合内容が下り坂になる一方だからです。

当ブログは1試合につき1エントリーが基本ですが、前回の韓国戦は1試合につき2エントリーを割き、スペースの使い方の基本・守備のポジショニングの基本について述べました。

それだけ試合内容が危機的だと思ったからです。

東アジア選手権では、オシムジャパンの特徴だった日本人の得意分野を生かしたサッカー、豊富な運動量と高い連動性、そして俊敏さによってショートパスが面白いほど良くまわり、相手をじりじりと追い詰めていくような創造性あふれるサッカーがどんどん失われていきました。

北朝鮮や中国は試合の最初から、韓国も試合の後半になるとロングボールをどんどん放りこんでくるサッカーをやってきました。

それにお付き合いするようにロングボールの放りこみで応対してしまったのが岡田ジャパンです。

中国戦の勝利で日本が祝杯ムードに沸くなか、私はこう指摘しました。

強いプレッシャーがかかる試合、苦しい展開の試合では、日本代表は自分たちのサッカーを見失い、相手のサッカースタイルにつられて同じようなサッカーをしてしまい、相手の得意な土俵に引きずり込まれてしまうという現象がしばしば見られます。



韓国戦後のエントリーではこうも述べています。

当・国際サッカー戦略研究所では、日本代表が浮き球のロングパスを使ったフィジカル勝負のサッカーをすると批判することが多いですが、もし日本代表が身長185cm以上の選手をズラリと並べ、フィジカルの強さも世界トップレベルというなら、そういったスタイルのサッカーをやっても悪いとは言いません。

しかし、あるサッカースタイルに選手の方を当てはめようとするのはありがちな間違いで、選手の長所を生かし、短所をカバーするようにサッカースタイルの方を選手に合わせなければいけません。

日本の場合、技術と持久力と俊敏さが長所であり、平均身長の低さ・フィジカルの弱さが短所です。

そうした日本人の特徴にあわせたサッカースタイルが、オシムジャパンに代表される、ショートパスで相手を崩して走り勝つサッカーです。(もちろんロングパスが正しい局面もありますが)W杯3位以上という目標をかかげたなら、自分たちの長所を生かしたサッカースタイルをワールドカップの本番でもやり通せなければ勝機は見えてこないでしょう。

自分から相手の得意な土俵へ引きずり込まれては、苦しくなります。



日本代表の攻撃の生命線は、高い連動性によるショートパスでの崩しです。



 今回の対戦相手バーレーンは、国内リーグとクウェートやカタールといった海外リーグでプレーする選手でかためたチーム。

しかし、好成績をあげた2004年アジアカップや05年のW杯アジア予選と比べると、やっているサッカーのレベル低下は明らかでした。

ロングボールをひたすら放りこんでボールが敵と味方どちらへこぼれるか、運とFWの身体能力だけに頼った現在のバーレーンのサッカーは、私がこの20年間嫌というほど見てきたクラシックでカビの生えたようなアジアのサッカーです。

07年アジアカップなどバーレーンの近年の低迷を裏付けるようなレベルの低いサッカーで、それを身体能力の高いアフリカからの帰化選手で手っ取り早くどうにかしたいという意図がミエミエでした。

昨日の試合でも、左サイドでロングボールを受けたイスマイル・ハサンは腕でトラップしたように見えましたが、それがハンドと判定されなかったのは運が良かったのか、ホームの利なのか、ともかくそれが決勝点が決まった最大の要因となってしまいました。

監督のミラン・マチャラは魔術師でもなければ、何か凄いワナを仕掛けていたわけでもありません。

岡田ジャパンがバーレーンにつられるかのように相手の得意な土俵に引きずり込まれて、ひたすらロングボールを放りこむ運だのみのサッカーをやってしまい、これが自滅の原因となってしまいました。

バーレーンは後半バテバテで足をつる選手が続出していたにもかかわらず、日本が走り勝っていたのはオシムジャパンのヘリテージ(遺産)でした。

しかし岡田ジャパンにはそれを生かせるだけの攻撃の組織力がありませんでした。

岡田ジャパンがW杯3位以上という目標をかかげたのは大いに支持しますが、ひたすら運に任せてどうして目標が達成できるでしょうか。

みずからの実力でその道を切り開いていかなければ。

バーレーンの試合内容からして、昨日は勝たなくてはいけない試合だったと思います。

引き分けでもとうてい合格点は与えられませんが、負けるなどもってのほかと言わざるを得ません。

試合内容が良かったのに日本の良さが発揮できていたのに、結果だけがついてこないというなら、いくらでも監督を擁護する記事を書きます。

しかし、試合内容は最悪、とうぜん結果も最悪となるとどうしようもありません。

 それでは最悪だった試合内容を振り返ってみましょう。まずは攻撃から。

ロングボールを放りこまれると、バックラインがずるずる下がってセンターバックからFWまで間延びした状態になりやすいですし、バーレーンのようにロングボールを放りこむスタイルのチーム自体が間延びしているので、なおさら自分たちが間延びしやすくなります。

昨日の岡田ジャパンは相手に合わせるように間延びしてしまい、選手同士の距離が離れすぎてしまって適切なサポート距離が保てないために、パスの受け手が近くにいない、いないから持ちすぎてしまう、持ちすぎるとフィジカルに勝る相手に囲まれ、体を寄せられてやすやすとボールを奪われる、あるいはロングボールを運まかせに放りこんでチャンスメークさえできないという悪循環におちいっていました。

このようにひどく間延びした試合は、06年W杯のオーストラリア戦いらい久しぶりに見た気がします。
いや、既に東アジア選手権からこうした傾向がありました。

現代のサッカー戦術ではコンパクトな陣形は基本ですし、怖がってバックラインがどうしても下がってしまうなら、バックラインに合わせてボランチや二列目、トップのラインも下げて、全体としてコンパクトな陣形を保てるよう指示するなりして、監督が修正しなければいけません。

ショートパスをまわす時の基本的なスペースの使い方については、前々回で述べた通りですが、東アジア選手権あたりから気になっているのですが、パスの基点となるべきボランチの中村憲選手は、最近ロングパスを非常に多用しています。

ところがそのロングパスが雑で、チーム全体でボールを落ちついてポゼッションすることができない原因ともなっています。

そのことについてまず監督が指導しなければいけませんし、それでも修正できないのなら選手を交代させるしかありません。

この試合、遠藤選手を投入してからボールがいくぶんかまわりはじめましたが、交代させるなら山瀬選手ではなく中村憲選手だったのではないでしょうか。

 中盤の組み立てが最悪でチャンスらしいチャンスもつくれませんでしたが、数少ないバイタルエリアに侵入したシーンでも、シュートやクロスから逃げてしまうというのは相変わらずで、先制された後半30分すぎまで日本のシュートは5本あるかないかぐらいではないでしょうか。

これでは引き分けすら難しいです。

FWについて言えば、巻選手のひたむきな姿勢は買いますが、がむしゃらさだけではこの先苦しいです。

ボールを正確に蹴る・トラップする・ドリブルするといった部分を猛特訓して、せめて代表の平均レベルまで持っていかないと。

酷なことを言うようですが、ゴール前でせっかくパスを出してもらっても、ボールをまたいでばかりのFWでは点が取れませんし、千葉の中心選手として今後やっていくためにも基礎技術の向上は、必要不可欠のことだと思います。

 最後にもう一度ショートパスのまわし方について言えば、チャンピオンズリーグのセルティック対バルセロナの試合を見ましたが、バルセロナのショートパスのつなぎは、まさに教科書のお手本のようなものでした。

基本的なキックと基本的なスペースの使い方を基本通りに組み合わせただけなのですが、ほれぼれするような組織戦術の完成度で、セルティックの守備陣をキリキリ舞させていました。

バルセロナの前はメッシ・エトオ・ロナウジーニョと、充分個人技で勝負できる選手たちばかりですが、彼らがチームワークと高い連動性でもって攻撃を仕掛けてくるのですから、対戦相手としては「個の能力でも勝てない、組織力の高さでも勝てない、いったいどう対処すれば良いのか?」という感じでした。

メッシやロナウジーニョの個人技をそっくりマネするのは無理でも、彼らの高いチームワークによるショートパスの崩しは、日本代表の良いお手本になると思いますし、彼らの素晴らしいところを積極的に盗んで欲しいと思います。

繰り返しますが、日本代表の攻撃の生命線は自分たちの長所、高い連動性によるショートパスでの崩しです。

昨日の試合ほどそれがはっきりとわかるものも無かったのではないでしょうか。

 守備に関しては、中盤のプレスディフェンスはまずまずだったと思いますが、浮きダマの競り合いについてはまだまだムラがあって、

ボールが落下してきて相手選手がヘッドするのをボーっと見ているだけの選手がいるかと思えば、ひとつのボールに二人の選手が同時に競り合いに行ってムダに重なってしまうシーンもありました。

フィフティ・フィフティのボールに対してキッチリ競りに行って、必ずマイボールにするという小さな積み重ねは、試合の結果を大きく左右するので大事です。

これは守備ではありませんが、コーナーキックやフリーキックなどでも、自分の半径2~3mの空中にボールが来ないとボーっと見ているだけの選手がいますが、(特に安田選手)多少自分から遠くても助走をつけて、ジャンピングヘッドあるいはダイビングヘッドを積極的に狙って欲しいです。

むしろそうした攻撃こそ相手にとって脅威ですし、そうしないとなかなかセットプレーが得点につながりません。

 また、相手がドリブルしてきてトップスピードに乗るまで誰も応対に行かないという危険な場面もみられました。守備時のポジショニングのとり方は前回述べた通りです。

 この試合、優れたGKである川口選手にしてはファンブルが多く、不安定な内容だったと思います。

失点シーンも一旦ゴールマウスをあけたなら、敵の居ない方かもっと遠くへボールをクリアできていたらどうだったでしょうか。

 最後に、このバーレーン遠征でもケガ人が出てしまいましたが、岡田ジャパンのケガ人の多さはちょっと異常ではないでしょうか。

フィジカルコーチによる選手の体調管理は一体どうなっているのでしょう。

さらに、ケガを防ぐための体力づくりを考慮した年間スケジュールはどうなっているのでしょうか。

そのための、しっかりとした走りこみはちゃんとやってきているのでしょうか。

このあたりも疑問です。

 さて今回のバーレーン戦、試合内容も結果も最悪のものとなってしまいました。

私は、ただちに後任監督の準備をすべきだと思います。

次期代表監督についてというエントリーで私はこう提案しました。

何か緊急事態になったとき、どうしてサッカー協会はいつも「適当な人材がいない」と大騒ぎをはじめるのでしょうか。

国内に人材がいないとすれば、普段からスペイン・イングランド・イタリア・ドイツの主要リーグや、オランダ・ポルトガル・デンマークや東欧諸国などのリーグをモニターしていて、日本代表監督候補としてふさわしい人を何人かピックアップして、その情報を常時プールしておけばよいと思うのですが。

現役監督がいるのに、裏で別の監督に接触するのは道義上問題でしょうが、情報をプールしておく分には、問題ないはずです。

(中略)

日本サッカー協会は、上で述べたようなリスクマネジメントを怠っているから、いざという時に大騒ぎして”泥縄”をはじめることになるのです。(泥縄=泥棒をつかまえてから、泥棒をしばる縄をつくりはじめること)



日本サッカー協会はオシム氏が倒れて以降、いざという時のためにリスクマネジメントをちゃんとやっていたでしょうか。

それが出来ていたなら、マスコミなど外部に漏らす必要はありませんが、現時点で後任監督候補の名前が何人かあがるはずです。

6月からはW杯予選が4つ続きます。

その最中に、最悪の結果を迎えてから慌てて後任監督探しをやったんでは手遅れ・致命傷になりかねません。

 私がサッカー協会会長なら、岡田監督と緊急会談を設け、岡田監督が一体どういう方向性のサッカーを目指しているのか、それを実現できるだけの具体的な知識と実行力があるのかを見極めた上で、

もし岡田監督がやろうとしているサッカーが日本人の長所に合っていない、あるいは方向性が正しくとも、それを選手に実行させられるだけの知識と行動力が無いと判断すればただちに解任して、あくまでもオシムジャパンのサッカースタイルの延長線上に、6月までに最低限オマーンに勝てるチームをつくりあげられる人材を後任監督に据えるような、思いきった決断をするかもしれません。

もちろん、後任監督候補のピックアップが済んでいればの話ですが。

次回、どういう監督が日本にふさわしいかについて述べたいと思います。


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 2008.3.26 バーレーン・ナショナルスタジアム
            (マナマ) 


   バーレーン  1  -  0  日本


 '77 A.フバイル



 GK S・ジャファル     GK 川口

 DF M・ハサン       DF 中澤
    マルズーキ          今野
   (アル・ダキール 87)     阿部
    サルマン・イサ       (玉田 82)
   (アーイシュ 81)
    フセイン        MF 駒野
                   安田
 MF ファタディ         (山岸 72)
    アル・ワダエイ        鈴木
    サルミーン          中村憲
   (アル・アネジ 77)      山瀬
    オマル           (遠藤 56)

 FW A・フバイル      FW 巻
    イスマイル・ハサン      大久保




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■第7回spartakの人生を変えたチーム―ユベントス(続編)

前回の続き

 そしてユベントスにもう一つ教えられたことがあります。 それはラテン的なずるさ(ブラジル人が言うところの”マリーシア”)です。

当時のユベントスにおいて、その代表ともいえる選手がフランス代表で守備的MFのディディエ・デシャンでした。

 ふつうラストパスが出て、敵のFWが味方のGKと一対一になった状況で後ろから足をひっかければ、その選手は一発退場になります。

デシャンは、ラストパスが出る一つ前の危機的な状況を察知する能力にたけていました。

ですから彼の場合、ラストパスが出る直前で相手チームのパスの出し手の足をひっかけてつぶすのです。 こうすればイエローカードだけですみます。いわゆる、プロフェッショナル・ファールというやつです。

デシャンは自分のイエローカード1枚とユーべの失点1を交換する天才でした。(そのため一部の記者からは嫌われていましたが)

 また、95年より後の話だったと思いますが、こういうこともありました。(ちょっとうろ覚えです)

ユーべが一点リードの場面で、浅くなっていたユーべの最終ラインの裏へ相手チームが浮きダマでロングパスを出しました。

そして相手のFWがオフサイドぎりぎりの絶妙のタイミングで裏に抜け出し、ユーべのCBパオロ・モンテーロが「しまった」といわんばかりに追いすがりましたが、相手のFWの足に追いつけません。

このままロングパスのボールが落ちてくれば、敵FWとGKペルッツィが一対一になって失点はほぼ確実という状況です。

あなたがこの状況でユーべのCBならどうしますか? その時のモンテーロのとった行動は、私の想像力をはるかに超えるものでした。

彼は敵FWに追いつけないことを悟るとジャンプ一番、落下してきたボールを手でキャッチし、ユニホームを脱いで、ピッチを自分から出ていくとドレッシングルームへと小走りに走っていきました。

当然レフェリーがレッドカードを出しますが、彼は後ろを振り返りもせず、通路へと消えていきました。 スタンドのユベンティーノ達は拍手で彼を迎えます。

日本人は「フェア・プレー」とか「正々堂々戦います!」みたいな価値観が好きですが、イタリア人やフランス人などのラテン人には「ずるくても要領よくやったもの勝ち」という価値観があります。

私はこのプレーでラテン人のこのような価値観を目の当たりにしました。

もちろん「勝てれば、どんなずるいことをやってもいいんだ」とは言いませんが、世界にはいろいろな価値観があるということだけは覚えておいた方が良いと思います。(このころのユーベにはドーピング疑惑がありますが、それが本当ならさすがにやりすぎでしょうね)

 日本が世界のサッカー強国に本当になるつもりであれば、このことは常に頭に入れておく必要があるでしょう。

日本人は「自分達は正々堂々とやるのだから、相手もフェア・プレーでくるのは当然だし、そうに違いない」などと、ついつい考えてしまいがちですが、そういった思想は非常に危険だと思います。

これで、「spartakの人生を変えたサッカーチームとの出会い」のシリーズは一応終えますが、

もしこれまでにあげたチームとの出会いがなければ、サッカーを全然知らなかった私が、これほどサッカーにのめりこむことも無かったでしょう。

さらに、これから先も自分の人生が変わってしまうほどの感動を与えてくれるチームと出会いたいと思っているのですが、果たしてそのようなチームが出現するでしょうか。

願わくば、そのチームが我らが日本代表であることを!

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 94-95シーズンのユベントス・基本布陣(4-4-2)

      ラバネッリ   ビアリ

    デル・ピエロ    ディ・リービオ
              (コンテ)
    
   デシャン     パウロ・ソウザ
   (タッキナルディ)

ヤルニ  フェッラーラ   カッレーラ  トリチェリ
               (コーラー)

          ペルッツイ
  

■第6回spartakの人生を変えたチーム―94-95ユベントス

 ”ドーハの悲劇”の翌年である94年に、アメリカW杯を観るために管理人スパルタクは衛星放送受信セットを買ってしまいました。
おかげで、アメリカW杯は全試合を観る事ができ、大会を堪能できました。

その勢いをかって、当時世界最高峰リーグと呼ばれた、イタリアリーグ・セリエAを観るために、WOWOWにも加入してしまいました。 これがスパルタクの人生を変える、最後のチームとの出会い(今のところですが)のきっかけとなりました。

 94-95シーズンのセリエAで、私をとりこにしたチームはマルチェロ・リッピ監督による新体制になったばかりのユベントスでした。

ディフェンスの最終ラインからツートップまでの距離を短く保つコンパクトな陣形の4-4-2が基本で、守備は中盤から激しいプレスをかけて相手を自由にさせず、

ボールを奪うとワンタッチプレーでダイレクト・パスをどんどんつないで、守備態勢が整わないうちに相手の陣形を崩してしまい、真中・サイドの両方からまんべんなく得点チャンスを創り出す、ユーべのサッカーは本当に芸術的でした。

 1970年代のリヌス・ミケルス監督とヨハン・クライフ率いるオランダ代表の”トータル・フットボール”から出発して、80年代後半のACミランのアリゴ・サッキ監督によるプレス・サッカー(日本でいう”ゾーンプレス”)へと発展してきたヨーロッパ、いや世界の現代サッカー戦術のひとつの頂点・完成形がリッピ・ユベントスのサッカーではなかったでしょうか。

 これからしばらく、90年代後半までユベントスの黄金時代は続きました。 96-97シーズンにボルドーからフランスの若きファンタジスタとして注目されていた、ジネディーヌ・ジダンがやってきて、ユーべの2列目として中心選手となっていきます。

しかしジダン加入以後のユーべは攻撃の組み立てにおいて、ジダン個人の独創性・アイデアに頼ることが多くなったぶん、チーム全体の攻撃における組織力がやや低下したようにみえました。

やはりチーム全体としての芸術性・美しさで94-95シーズンのユーべをこえるユーべは現在まであらわれていないと思います。

 94-95シーズンのユーべは個々の選手もハイ・レベルなタレントが集まっていました。

ゴールマウスにかぎをかけるのは、管理人スパルタクが選ぶ世界最高のGKペルッツィで、フェッラーラを中心とした堅いセンターバックに、ヤルニ・トリチェリのサイドバックは攻守にわたって活躍。

デシャンとパウロ・ソウザの両守備的MFは、相手の攻撃が脅威となる前にその芽をつんで、ボールを奪うと攻撃の起点となり、2列目の汗かき役、ディ・リービオが敵の守備陣をかきまわします。

本来このチームの王様はロベルト・バッジオだったのですが、けがが長引いてこのシーズンはほとんど活躍できませんでした。 そのバッジオの代役として登場したのがアレッサンドロ・デル・ピエロだったのですが、代役どころかあっという間にこのチームの中心となってしまいました。

このシーズンのどの試合だったかは忘れましたが、アレックスがデッレ・アルピのゴール前左45度にいて(いわゆるデル・ピエロ・ゾーン)彼の後ろから浮きダマのパスがくると、それをジャンピング・ボレーであわせてシュートし、美しいゴールを決めたことがありました。

このゴールを観た時、「この若者が将来のユーべを背負って立つ」と私は確信したのでした。

そして最前線には、ビアリとラバネッリの決定力ある2トップが待ち構えています。 特にビアリの、インやアウトにかけてキーパーはさわれないのですがゴールマウスにきっちり入るシュートは、まさに”アート”でした。

 このリッピ・ユーべは「サッカーとは何か」ということを基本から私に教えてくれました。 そしてこのチームとの出会いによって、私スパルタクのサッカー観といったものが完成したような気がします。

そして現代サッカーの戦術もこの時代に完成され、今現在も当時とそれほど変わっていないように思います。 むしろ組織力という方向では退行していると言えるのではないでしょうか。 

逆にいえば、現代サッカーは戦術面においては限界点に来てしまったのかもしれません。
今後世界を驚かせるような新しい戦術がはたして登場するのでしょうか?

 94-95シーズンのユーベに出会い、開幕当初から優勝まで観ることができたのは偶然でしたが、本当に幸運でした。

いつでしたか、WOWOWの岩佐徹アナがユーベ戦の実況で「心が豊かになるような試合でした」とおっしゃっていましたが、まさにそのとおりで、私にたくさんの財産を与えてくれたと思います。

つづく
  

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